信仰が忍耐に王冠を授けるのを見よ
忍耐なきところに信仰は存在しない
(「
マスナウィー=メスネヴィー」
マウラーナ著 -「
神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)
忍耐を身につけ習慣とすることが、あらゆる賛美の真髄となろう
だからあなたは耐え忍びなさい、忍耐こそは真の賛美なのだから
その他のどのような賛美と比べても、忍耐ほど崇高なものはない
(同著)
信仰者は己れを神の犠牲に捧げた人。災禍や危険、手や足のことをなんで思い煩うことがあろう。神の身元に赴く身に、手や足がなんの用があろう。・・・ファラオの妖術師たちのよう(
クルアーン26章10-51)に、手をなくし足をなくしてしまったとて、なんで悲しむことがあろう。
(「
フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「
ルーミー語録」より-)