「أنا مدينة السخاء و عثمان بابها」
オスマーンが教皇になった時、彼は説教壇に登った。人々は彼がどんなことを言うかと固唾を飲んで待ち構えていた。ところが、黙りこくったまま何も言わない。ただ、じっと会衆を凝視している。その視線に魅されたように、会衆は世にも不思議な恍惚状態に引き込まれてゆくのだった。・・・有難い教誨や説教を何百回聴いたところでこんな素晴しい気分にはなれっこないというようなものだった。どんなに自分で努力し、どんなに立派な説教を拝聴したところで到底望めないほど得るところがあり、玄妙な
真理が開示された。
・・・やがて説教壇から下りようとしてこう言った。「弁舌で人を動かす
導師よりも、行為で人を動かす導師の方がよっぽどお前がたの身のためになる」
(「
フィーヒ・マー・フィーヒ」
マウラーナ著 -「
ルーミー語録」より-)