「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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2015年 11月 13日

勉強って、楽しいな!

大学院で学んで、とても興味深く面白かった科目を幾つか挙げようと思う。

・فقه اللغة

言語法理学、とでも訳せようか。
言語はどこから来たか、という、各学者の議論が面白かった。

主たる3つの意見
1-神による完全たる創造。
2-神に伝授され、その後人間が発達させた
3-自然に帰する

アル=イマーム・アル=アルバーニー派のプライベートの先生とは、2と3を合わせた意見が妥当であろうと至った。


・القراءات القرانية و القرائات الشاذة

Qira'atと、アッシャーッザ
日本語が見当たらないので、英語とアラビア語のリンクを・・・。

うちの学科は、クルアーンのアル=クィラーアート=読み方 に力を入れ、第三カリフのオスマーンが現存するクルアーンを作りそれ以外の読み方をシャーッズ=正しくない と定める以前の、様々な読み方を学んだ。
教材は、サウディアラビア及びクウェイトの、ウスールッディーン学部のものを使った。勿論、何故そう定められたのか、どういった読み方が正しいのか等、アル=クィラーアート の諸学についても学んだ。

イブヌ・ジンニー による、アッシャーッザ のアル=クィラーアート の解説は、大学院で学んだ中で一番面白いもので、誰々のこの読み方はこうこうこう解釈し、よって正しい、等という、文法的反論が大変興味深かった。
大学院の最後の方はイブヌ・ジンニー祭りで、彼の様々な分野での色々な解釈や意見がとても面白く、ファンになってしまった。


・المدرسة البصرية و المدرسة الكوفية

バスラ学派と、クーファ学派の文法解釈の違い

ギリシャ哲学の影響を受けたバスラ学派と、その影響を直接受けなかったクーファ学派の、あらゆる文法解釈の違いが面白かった。バスラは主に سيبويه スィーバウェイ、 クーファは主に الكسائي アル=ケサーイー とその弟子 الفراء アル=ファッラーゥ による。
エジプトでは、エジプト人はもちろん、モロッコ人やイラク人、シリア人に色々な古典書を文法解釈付で学んだが、同じ文章でもそれぞれ解釈が違い、どれが一体正しいのかと不思議に思っていたが、大学院でこれを学び、彼らが其々バスラ的解釈、及びクーファ的解釈に沿っていたことを知り、いまだに国や学者によって解釈の違いの名残があることを知れただけでも、大学院に入った意味があった。
教授達は皆一様に私はバスラ派だ、と述べたが、私はクーファ派が好きだ。


・التأثير الإغريقي في النحو العربي

ギリシャ哲学がアラビア語の文法に与えた影響

ギリシャ哲学と、イスラーム哲学の違いが興味深かった。


・الاستصحاب الحال

文法解釈の法


・التطور اللغوي

これは母校であるエジプトはアインシャムス大学の教授が書いた本で、セム語やハム語から派生したアラビア語の単語などを説明しており、カイロ大学では東洋言語学科でセム語やハム語が必修科目だった為セム語及びハム語比較がとても好きで、古代シリア語や古代エチオピア語のアルファベットの復習にもなった。(ヘブライ語学科だったため、10数年経った今でもヘブライ語は忘れていなかった!)


他に、近代西洋の言語学を各学派や学者ごとに学んだ。
言語心理学が特に面白かった。

勉強が進むにつれ、日本語はおろか英語でもウェブ検索できなくなり、私自身日本語が母国語でアラビア語は非常に頭を使うのだが、専攻に限ってはアラビア語で学んだので今度は日本語での理解が困難となった。フェルディナン・ド・ソシュールやノーム・チョムスキー、レナード・ブルームフィールド等の学者の本は日本語では何語か分からなくなるほど難解だが、アラビア語だとぐんと易しい。


実は大学院は入ってすぐにやめる決意をしたが周囲に止められ、また一人の素晴らしい教授によって、勉強を続けてきたが、最後の最後にぐんと面白くなった。

勉強は、本当に面白い!
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by Emi_Kikuchi_jp | 2015-11-13 00:57 | In graduate school
2015年 11月 09日

知っているとアラブ人にびっくりされる筈!

فرضية الحتمية اللغوية(エドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフの言語的相対論)についてのアラビア語の論文に、同じアルファベットを繰り返すだけの単語がありなかなか面白かったので、紹介する。

・فضفاضة

ファドゥファーダ=不明瞭、広すぎる、といった意味

・تغلغل

トゥガルガル=変化、といった意味

・مخلخلة

ムカルカラ(カはKHA)=安定していない、といった意味


最後に、大家が修理中に発した言葉

・يبكبك

ユバクビク=水がブクブクいっている様子
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by Emi_Kikuchi_jp | 2015-11-09 22:17 | Arabic アラビア語講座
2015年 11月 06日

ヨルダン留学を振り返って

ヨルダン留学を振り返って・・・(長文。初回投稿より固有名詞の誤字などの訂正済み)

大学院も終盤に近付いてきたので、ヨルダン留学を振り返ろうと思う。

エジプトの大学を終えた私には、どうしても完読したい3冊の本があった。そして、もう一冊、エキサイトブログにその記述は無いが、自身のスーフィージャーニーの最後を飾ったリファーイー教団の最大の秘蔵本-つい最近まで写本で秘蔵されていたもの-も出来れば学び、日本語に訳したいとも思っていた。(何を隠そう、その秘蔵本に記されている、リファーイー教団を代表する詩歌が歌われた、デリゾールの聖廟の主、アル=イマーム・アル=サイエド・ムハンマド{別名アブー・アービド・アル=イバーディー・アル=フサイニー}こそ、息子のご先祖様である)

そこで、ヨルダンにお住まいの、数年前に訪れた、その教団のある導師に連絡し、私を警戒し来るなと言う新婚の妻とも夫婦喧嘩の後電話で和解し、無事彼の家に居候し、学びたいことを全て学べることとなった。

暫くして、彼の訃報を人伝に知る・・・。

彼の息子に連絡をするも彼はアメリカ在住。
どうしたものかと迷っていると、トルコはイスタンブールへの大学院留学を勧められる。奨学金もある、ということで、受け入れ先に赴き、あるスーフィー教団の施設に送られる。大学院入学までその施設でトルコ語を学ぶとよい、ということだったが、何故か先生として招かれ、しかもその実態は、政府から多額の支援金を貰うも、入学時の契約にある奨学金サポートをせず、貧しい女学生達は家族と数ヶ月連絡していない、と、契約書を手に涙ながらに私に訴えてくる様な施設で、私自身も散々な目に遭い、危険と隣りあわせで、日本大使館は領事宛のヘルプメールをいざと言う時の為に常に用意しいつでも送信出来る様にしておいた程だった。そして、これが人生でスーフィー教団と関わる最後であると悟った時であった。(コンヤであればまた事情は異なっていたはずだ。イスタンブールのスーフィズムは、インドに続きおかしなものであったし、スーフィーでない導師達も、アラブではタブー=つまり宗教的にもタブー な事も慣習化していることがわかった。アラブ圏でも非イスラーム的に感じることが多いが、アラブ圏を出るとそれがより増す)

教団とは無関係だが大金の盗難にも遭い、命からがらホテルに逃げ、そこでお世話になったのは、サウディアラビアから追い出され職を探している、シリア人難民だった。彼のご家族はヨルダンに一時滞在している。トルコよりヨルダンが良い、と何度も説得された。ヨルダンの大学に通うマレーシアの学生達とも知り合い、彼らによって私の大学卒業証明書がヨルダンの大学院で受け入れられる事を知った。(彼らとは今でも友人である)

そのシリア人は毎日の様に幼い息子を抱っこしあちこちへ面倒を見てくれた。初めはイスタンブールで学ぼうと考えていたので、住まいや幼稚園、例の3冊の本を学べる団体、トルコ語を学べる団体等を探し回ってくれたのだ。住まい探しに引越し、何個もある重いダンボールなど、全て彼が運んでくれた。(後に出会ったシリア人は皆反政府であったが、彼は親アサドであった。ちなみに彼の妻は欧州で数十年反アサドの指揮を取る著名なムスリム同胞団の導師の姪である)

アラビア語を教える団体や大学を幾つか回ったが、やはりここは非アラブ圏であり、アラビア語のレベルは、所属していたカイロの大学にも劣るもので、3冊の本を教えられる人物がアラブ人でさえいなかった。特に3冊のうちの1冊は、古典書で、スンナ派4法学以外の学派も加えた、イスラーム法学の比較書なのだ。

トルコ語を学べる団体がやっと見つかった。しかも無料だ。授業はちょうど息子の幼稚園と同じ時間。授業当日、教室に入ってすぐ、運転手から電話が来た。息子さんが帰ってきましたよ、と。聞くと、今日から時間が早くなりました、と言う。イスタンブールに着いてからの数々の災難の上に、授業初日でのこのタイミング。もうこれはトルコではない、と悟った。
結局、そのシリア人に空港まで送られ、ヨルダンに到着した。(彼と彼のご家族とは後にヨルダンでお会いしたが、カタールに職を見つけ、ヨルダンを去って行かれた)

ヨルダンの空港では、先に連絡しておいた、上記の導師や王家の人間の本を出版している出版社の社長が迎えに来てくれ、彼の知人のスタディオに暫く滞在することとなった。しかし、多忙の彼とは、翌日ストーブや毛布を持ってきてくれた後、暫く連絡が途切れた為、自分で住まいや幼稚園を探すこととなった。後に住むこととなった住まいが、彼のすぐご近所で、息子が入園した幼稚園に彼の息子さんも通っている事がわかった時は、彼も驚いていたが。(私は彼のお宅を知らなかった!)

アンマン中全ての大学を回り、自分に合った大学院を見つけ、入学願書を出した。それと同時に、いつ何があってもすぐ出国できるように、初めの目的であった3冊の本を教えてもらうべく、出会った人に片っ端から聞きまわった。その結果辿り着いた、皆スンナ派なのだが異なった信条を持つ様々なイスラーム団体から、夫々の信条によるおかしな目に遭い、新たな先生を探し、辿り着いたのは、お隣の県に住む一人の導師だった。毎日、彼の家に朝一番に行き、息子が幼稚園にいられるぎりぎりの時間まで本を解説してもらった。彼によると、女性に教えることはないという。 

この中東の日々、女性では私がはじめて、とどこに行っても言われた。この導師もそうだが、厳格なサラフィストだと、モフラム(男性の血縁者)無しの貴女の滞在を認めるファトワを貰ってきなさい、と言われることもあった。モフラム無しの女の留学生は世界中に溢れているのだが。ヨルダンが、エジプトやシリアに比べ宗教的に大変厳格であることを思い知らされた。ヨルダンではサラフィストのみでなくスーフィーも厳格であった。彼らは皆パレスティナ系で(ヨルダンでは生粋のヨルダン人に会うことが稀だ)、パレスティナはより保守的という。

導師とのレッスンが始まったが、初対面から、2人はいつもかみ合わず、毎日泣かされた。
バス停まで彼が車で送り迎えしてくれ、授業料も勿論とらない。断食月が始まってからは、彼は夜中じゅう起き、朝の礼拝後に寝て、1,2時間経たないうちに私に起こされる日々。しかも私の為に、朝玄関の鍵を開けっ放しにしてくれる。何か必要なものは無いか、と、毎日の様に聞かれ、食事も入れ物に入れ持たせてくれる。本当に親切なのだが、勉強以外の会話が非常に精神的苦痛なのだ。非アラブへの蔑視に、完全なる女性否定。そして、戦闘員への絶賛・賛美と、あらゆる人・ものへの否定。毎日彼の元に向かうのが嫌だったが、何としても3冊の本を完読すべく、我慢して通った。

彼は断食月後多忙となったので、また新たに教えてもらえる人物を探し、彼のご近所の、今度は、アルバニア出身の近代のハディース学者・イマーム・アル=アルバーニーの直弟子のお弟子さんである導師の下で勉強を教わることとなった。彼によって、例の導師が、ある信条グループに属し、彼のグループは彼らと対立していることがわかった。同じハンバリー及びワッハーブ派の、サラフィスト達であるのに。
ともかくも、約2年半のヨルダン滞在、大学院・及びそれ以外の勉強の全てを教わり、家族ぐるみでお世話になった。各国で様々な宗派及びイスラミック・グループに接してきたが、どの集団も、ちょっと言動を疑問に思うことが多少なりともあったが、彼らとは無かった。流石、非アラブを師とする、ピュアな学術集団なだけある。

そうこうしているうちに、無事大学院の入学が決まり、奨学金も確保し、大学院が始まった。例の3冊の本も、無事に完読した。暫くして、隣国に、国家樹立宣言をする集団が現れた。上記の例の導師と、同じ信条集団であった。

上記の例の導師は、以前勉強を教わっている時、今迄に何回か尋問に呼び出された、と言っていたから、もう今は捕まっているかもしれないし、既に渡航しているかもしれない。

エジプト滞在時、何度もヨルダンに訪れ、その時知り合った親切なホテルの従業員がいた。その後彼はサウディアラビアに出稼ぎに行ったのだが、彼や彼の友人であるシーア派は12イマーム派のサウディ人とは毎日の様にメールしあっていた。(余談だが、ニュースはスンナ派、シーア派としか記さないが、スンナ派のOO、シーア派のOO,とより詳しく記述しないと、昨今の中東情勢は理解できない。上記の導師と、アル=イマーム・アル=アルバーニーのグループの様な他のサラフィスト達との違いこそが、同じサラフィストであるISISと、アル=カーイダとの、アキーダの違いなのだ。各グループ名称があるのに、アラブのニュース含め報道機関では全く言及されない)
話は戻るが、私には、過去を手放すためにと、連絡先をすぐ削除してしまう習性があり、それは特に国を変えるとき顕著となるのだが、彼らも同様で、もう随分前にこちらの連絡先の変更と共に彼らの連絡先も削除していた。ヨルダンに再度戻って、彼のことを一番に思い出し、彼の連絡先を得るべく勤め先だったホテルに向かった。残念ながらそのホテルは辞めていった従業員の情報は分からず、がっかりしながらホテルを出たその目の前のお店に髭を生やした敬虔そうな男性がいたので、勉強を教えてくれる学者は知らないか、と尋ねた。その日から、彼に言われるがままに、今日はどこどこでイスラーム会議があるから、と、あちこちに学者探しに走り回った。話は前後するが、その頃は、まだスタディオに滞在し、住まいも探していたが、たまたま通りがかった人の子供が通う幼稚園に一時的に息子を預けていたので、一人で身軽だった。まだ、隣の県の導師達に辿り着く前の話だ。各会議の会場で、スタッフに住まいや学者の件について聞いた。その日も、いつもの様にこちらの電話番号を残し現場を去ったのだが、誰からも連絡は無かった。その数ヵ月後、大学院の願書の提出書類である英語の国家テストを受ける為にヨルダン大学を訪れたところ、入り口近くで女学生に話し掛けられた。いつかの会議で、私が話し掛けたスタッフだそうで、ヨルダン大学はイスラーム法学部の生徒だと言う。そこから、シャリーア学部及びウスールッディーン学部の女学生達に勉強を教わるようになり、教授陣や彼女達から、上記のイスタンブールの団体が、悪名高いことを知った。多分に、酷い目に遭った学生達がいるのだろう。彼女達は非常に精力的に勉強の面倒を見てくれた。外国人の学生に無償で奉仕する位だから、皆かなり敬虔で、黒衣装に顔を全て隠すサラフィストの女学生ばかりだった。(超厳格なサラフィストの日本アニメオタクもいた!)断食月には朝の7時に他の県から大学に来てくれる子もいた。(サマーコースは9時から13時までなのに、6時半から4時まで追加料金無しに息子を預かってくれた幼稚園にも感謝!)イスラーム法学部なのに、断食月の日中に隠れてタバコを吸う学生達がいて、「思想は間違っているけど、隣国だったら即罰せられるのに」という彼女の発言は印象的だった。思想が異なっても心情的に共感している人は少なく無い。
ともかく、私の大学院の卒業は、彼女達と、上記のアル=イマーム・アル=アルバーニーのお弟子さんの学者の手による、と言える。日本に留学している外国人学生も、日本人の多大なサポートが得られていることを心から切に願う。
ヨルダン滞在も終盤に近付いて、例のサウディ人が、一般公開しているエキサイトのアドレスに10数年ぶりにメールをよこしてきたことは余談である。

最後に、泣きながら毎日通いつめた日々、精神が疲労し、心が死んだ日々を救ってくれたのは、何と日本のエンターテイメントだった。以前はお篭りをし、日々苦行や礼拝、読経に勤しみ、世俗を嫌い、音楽やエンターテイメントを完全否定していた。が、苦痛の日々のとある日、ヤフーメールにログインする際、たまたま目にしたヤフートップニュースの画像にあった女性アイドルの太陽の様な笑顔に癒され、今まで無意味と思っていたテレビをユーチューブで見るようになったのだ。中東の日常にとって非日常の日本のテレビ番組が、心に活気を取り戻してくれたのだった。どうでも良いことに笑う。そのことが、どうでも良いことでなかったのだ。ここに、人生ではじめて、エンターテイメントの有益性を知ったのだった。

ただ、音楽は、自分が学生だった時の音楽、もっと言えば、それより古い音楽ばかり聴いている。小学生の時、歳の離れた、アメリカの大学に留学中の兄の空き部屋にあったCDを好んで聴いていたからだ。その頃の音楽を聞くと心が落ち着くのだ。音楽を聴かなかった約10年、確かに心に音楽が無かった。音楽を再び聴き始めたのは、音楽を聴くとすぐに踊りだす息子の影響も大きい。

ここまで、怒涛の日々を過ごしてきた中東の16年。時々、あのまま日本にいればよかった、あの時、中東を出ていればよかった、という思いが頭をよぎる事もある。何度も死ぬ思いをしたし、修羅場を乗り越えてきた。何が正解かは、自分にも分からないし、誰にも分からない。ただ、大学院を終え、中東を出る時が、人生の大きな分岐点となることだけは、確かである・・・。
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by Emi_Kikuchi_jp | 2015-11-06 01:00 | daily life  中東の日常