「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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2007年 08月 19日

a truth 真理


パンの一切れを探すなら
あなたがパンの一切れになる
・・・
あなたが探しているのは
他でもないあなた自身なのだ



(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 12:29 |   a truth 真理
2007年 08月 19日

desires 欲望


「知性とは、物事をその終わりまで曇りなく見通すことができるもの。物事の終わりを見通せず混乱させるのが、欲望である」 (ハディース 「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より)

「・・・低劣な欲望に対し(自分の)魂を抑制した者は本当に楽園がその住まいであろう」 (クルアーン79章40-41節)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 12:25 |   desire 欲望
2007年 08月 19日

ego エゴ


エゴの訓練は「奇跡講座 ワークブック編」を実行されたい。


・・・正しい思考を欠いたこの男の宮殿で、真の敵であるモーセがすこやかに育つ間も、彼は宮殿の外しか見ていなかった。そしてただ闇雲に、子供たちの首を撥ねていたのである。
あなたもまた、このファラオと同じである。
自らの内なる敵、飼い馴らすべき自らの我欲には眼もくれず、ただ外に向かって害をまき散らす。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

「あなたがたは互いの中に、最も恐ろしい敵を見る」(預言者言葉

(同著)


この世の全ての苦しみは、自我=エゴによる。
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 12:24 |   ego エゴ
2007年 08月 19日

heart  心


が実際に御覧になるのは、あなたの外見やあなたの所有する富ではなく、あなたの心と良い意思である。」(ハディース

七層の天のごとくに、七百もの無知のヴェイルに覆われ、
視界からも遮られているものを。
そのような得体の知れないものを、「心」とは呼べない。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

心は罠のようなもので、しっかりかけておかないと獲物は取れぬ。心が  として楽しまないのは、罠の網が破れているようなものだ。だから、誰かをするにも度を越さぬように・・・。憎む場合にも・・・。・・・網が破れてしまう。
・・・但し・・・神に対する場合(愛)は、・・・激しければ激しいほどいい。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 12:21 |   heart  心
2007年 08月 19日

Wallahi 神にかけて


よ、御加護を! 神よ、御加護を!」
・・・偽善者ども
いそいそと預言者のもとへ向かう偽善者ども
小脇にはクルアーンをしっかりと抱えて
クルアーンを手に何ごとか誓うつもりで
彼らにとって誓いとはただ保身のためにある
邪な者どものそれが昔からの生きながらえる術
邪な者は信託を裏切る、破るために誓う
正しい者であればそもそも誓いなど口にする必要がない
彼らは澄んで輝く両の瞳で十分だと知っている。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:56 |   wallahi 神にかけて
2007年 08月 19日

usual Muslims 一般的イスラーム教徒


もしその「汝自身」が私は敬虔だと主張しているなら、しっかり試験した上でなければ決してそのまま信用してはいけない。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

愚か者たちはモスクを崇めたてるが、
の顕われるは破壊しようと試みる。
馬鹿者どもが!

(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より)


神聖なるものの名を乱用する者は、誓いなどいくらでも破るのだから。
近い以前の言葉でさえも嘘偽りであった者の、虚しい甘言に嵌まってはならない。
彼を統べるのはただ彼の我欲、彼の知性もまた我欲の虜。
たとえ彼が、十万冊のクルアーンを前に誓ったとしても。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

宗教実践にあたって無自覚に盲従する模倣者たちを、メヴラーナは「藁欲しさに荷を運ぶ驢馬」「その背にクルアーンをのせられていながら、眼前の餌に釣られるばかり」と批判した。

(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より)

胡桃の数ばかり多くても、殻ばかりで実が詰まっていない。

(同著)

「信仰する者よ、あなたがたはどうして(自ら)行わないことを口にするのか」 (61章2節)

「あなたがた信仰する者よ、合同礼拝の日の礼拝の呼びかけが唱えられたならば、アッラーを念じることに急ぎ、商売から離れなさい」 (62章9節)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:54 |   usualMuslims一般ムスリム
2007年 08月 19日

sharia' シャリーア=イスラーム法

お前がたも御存知のイスラーム法、あれも源は啓示(具体的にはコーランを指す)だった。だが人間の思惟と感覚に混じり、人間にひねくられているうちに本来の清純さはなくなってしまった。現に行われているイスラーム法は啓示のもともともっていた幽玄さとは似ても似つかぬものである。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

イスラームの宗教法は・・・王者の政処に譬えられようか。・・・だが、托鉢修道のスーフィーたちの本領は王様ご自身と親しく交わることであり、・・・王の出す勅令を知ることと、王自身の考えを直接知り、王と親しく交わることとは似て非なるものである。

(同著)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:52 |   ・sharia' シャリーア
2007年 08月 19日

retribution   因果応報


・・・この世界は山のようなもの。善いことでも悪いことでも何かこちらが叫べば、それと同じ言葉が山から返ってくる。「わしが綺麗なことを言ったのに、山は汚い言葉を返しおった」などと考えたら大間違いだ。・・・驢馬の声が返ってきたら、こちらが驢馬の声を出したのに間違いはない。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

・・・もし誰かが心にしみじみ幸福感を味わうなら、それは誰かを幸福にしてやった報いだ。もし誰かが悲しみを感じるなら、それは誰かを悲しませた報いだ。
・・・お前がたが感じる痛み、気づまり、不快など全て自分が他人を苦しめ、自分が罪を犯したことの報いだということである。・・・胸が詰まったような感じは疑いもなく何かで神命にそむいた報いだし、反対に心がのびのびとしているなら、それは自分が神命を忠実に守った報いに違いないのである。

(同著)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:47 |   retribution 因果応報
2007年 08月 19日

human 人間


人間の吐息ひとつにもその魂ほどの価値があり、
抜け落ちた髪一筋にも秘められた財宝がある。

(「ディワーン・カビール=ディーヴァーヌ・ケビール」-「ルバーイーヤート=四行詩集」- マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

人間は巨大な書物であって、一切のことがそこに書き込まれている(人間を小宇宙と見る)。だが、幾重にも垂れ幕が掛かり、暗闇が層をなして蔽っているために、せっかく自分の中にある知識を読むことができない。ここで垂幕とか暗闇というのは、俗世の様々な関わり、様々な計画、様々な欲望のことだ。・・・とすれば、この暗闇と垂幕がさっと取り除かれたなら、どんなにすっきりと一切が分り、どんなに多くのことが知られることか・・・。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

衣装では決してその本質を知ることはできない。
見よ、人間のなんと卑小な姿をしていることか。
丸太をくりぬいたパン  の桶に、
すっぽりと収まってしまうほどの大きさしか持たぬこの人間。
このちっぽけで哀しき存在に対し、
「高貴なものにした」と神が告げたのだ。
空よ、そなたもまたそれを聞いていたはずだ。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

時には天使ですら我らの無垢をうらやみ、
時には悪魔ですら我らの蛮勇を恐れて逃げ出す。
泥土で練られた我らの肉体、
だがその裡側には神の信託が込められている。
が我らの知恵と力とを保護し給いますように。

探求者よ、能う限りの力を持って必ずそれを見つけ出せ
外ではない、あなた自身の中にあなたの探すものがある。

(「ディワーン・カビール=ディーヴァーヌ・ケビール」-「ルバーイーヤート=四行詩集」- マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

天使は決して大地へと踏み入ることはできない。
同じように、獣は海原を知ることもないだろう。
あなた方は獣の肉体をその宿とする、精神の天使。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

「汝らいずこに顔を向けようとも、必ずそこに神のお顔がある」(クルアーン2章15)
この「御顔」は全世界を貫流し四方八方に流通し、どこまでも伸びてはてもなく、永遠に存続する。恋する人々(神を恋い慕う人々、すなわち神秘主義の修行者たち=スーフィー)はこの「御顔」にこそ己が身を犠牲にささげ、それに対して何の報酬も求めはせぬ。その他の人間は家畜同然だ。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

人間の内部には実にいろいろなものがいる。鼠がいる、鳥がいる。鳥は籠を天井に向って運び上げようとし、逆に鼠はそれを地に引きおろそうとする。いや、何十万という野獣が人間の中に棲んでいる。但し、そのけものたちはみな一つの場所のほうに少しずつ進行している。鼠は鼠の本性を捨て鳥は鳥の本性を棄てて、全てが一つとなるあの場所に向かって。けものたちが(無意識に)目指していく先は、実は上でもなければ下でもないのだ。目指すところが現れれば、上でもなければ下でもないことが分かるのだ。

(同著)

人間は誰もの奥処に子を孕んでいる。・・・だが神は人間をいつまでも横暴と無知の状態に放置はされぬ。・・・死んでから後ですら、実に様々のものがそこから生れてくるのだ。
だから心の奥処を大切に育てなければいけない。心の奥処なるものは譬えば木の根のようなもので、・・・その動きは枝の端にまで現れる。枝が一本や二本折れても、根さえしっかりしていればまだ生えてくる。だが、一たん根がやられてしまえば、もう枝も葉もない。

(同著)

人には、自分の意志に関係なしに、日に五度か六度は必ず、自分では望んでいないような辛いことが起こる。どう見てもそれは自分から起こってくるものではない。誰か他者から起ってくるものだ。人はそのような他人の支配のまま。他者が自分を監視している。何か悪いことをすると、その後で後悔の念が起るのが何よりの証拠。・・・人は、・・・自分が誰かに支配されているとは認めたがらないものだ。
「神はアダムを己が姿に似せて創り給うた」(ハディース
・・・不慮の出来事の方はすぐきれいに忘れてしまう。しかし忘れても無駄だ。この借り物の性質が本当に自分のものになってしまうまでは、何遍でも殴られ殴られてゆくほかはない。

(同著)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:40 |   human 人間
2007年 08月 19日

caste カースト


なんたることだ。およそ理性を備え、正常な感覚を持つ人間の、これがしたり言ったりすることか。せっかく神様から、自分の父親の理性とは別の独特の理性を授かり、父親の目とは別の独特の目を授かり、独特の分別を授かっている身であるからには、自分を正しい道に導かず破滅に連れてゆくような他人の理性に盲従して、己が理性、己が見方をぶちこわしてしまうような真似はすべきではない。


(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:27 |   caste カースト