「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

emikikuchi.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:prayer 礼拝 祈り( 1 )


2005年 07月 03日

prayer 礼拝 祈り


d0065502_12295356.jpg


「祈ることは、人類に仕えることにほかならない。
 祈祷用のじゅうたんも数珠も
 托鉢の鉢も、無用である」  サアディー

「善行は礼拝に勝る」イマーム・アリーアレヴィー派第一の教訓)


「何か礼拝よりももっと大切なものがありましょうか」
「この問いに対する一つの答えは、…礼拝の行為そのものよりその底にある精神のほうがずっと大切だということである。第二の答えとしては、信仰の方が礼拝より大切だということ。…礼拝は正当な理由があれば免除され、後刻に遅らすことも許される(が信仰は免除も遅らすこともできない)。…(また)信仰は礼拝を伴わなくともそれなりの効果があるが、信仰を伴わぬ礼拝は無益である。」

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

礼拝の最大の報酬は神との距離が縮まることにある
「一途に平伏してわれに近づけ」と書物にもある通り
肉体を低く大地に屈めれば精神は空高く舞い上がる

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

だが賞賛によってわれの栄光が増すわけでも、われの神聖さが増すわけでもない。われを賞賛することによって純粋さと輝きを増すのは、他ならぬ彼ら自身なのである。われへの崇拝によって徳を積み真珠のごとく輝きを増すのは、われではなくわれを崇拝する者たちである。
われは崇拝するものの舌や、言葉を見るのではない。その心と、意図とを見るのである。言葉による敬意を受け取るのではない。心による敬意を受け取る。

(同著)

神はこのように申された。
例えあなたが自堕落であろうと偶像を崇めようと
あなたが呼べば必ず応える、と
息せき切って礼拝に駆け込んだことはあるか
涙を流して神に叫んだことはあるか
あなたを悪鬼の手から解放するのはそれである

(同著)

神を呼ぶ声、助けを求める声は、常に悲しみに満ちて純粋である。

(同著)

どこそこの都に気前のいい人がいて、・・・大変な慈善家だという噂を耳にすれば、誰だって・・・恩恵に与ろうという気になるものだ。とすれば、万人が神の慈悲のほどを意識しているのに、その神から物乞いしない道理はない。・・・「パンをください。・・・貴方はそんなにお持ちじゃありませんか」・・・犬ですらこの程度の分別は持っている。そなたが犬以下だということはあり得ない。「もし御主人のほうでその気になれば、自分から進んで私にパンをくれるだろう」などとうそぶくようなことは犬はしない。キャンキャン鳴いて訴えかけ、尻尾を振る。そなたも負けずに尻尾を振るのだ。ほしいものがあったら神にどんどん申し上げ、おねだりするのだ。・・・相手が神・・・であれば、物乞いは立派な行為である。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

「自らの神を、恐怖ゆえに礼拝したり、見返りを欲して崇拝するとは不届きな下僕です」

(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行会 より)


写真;空に向かってに祈るユダヤ教徒 嘆きの壁 ジェルサレム 
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2005-07-03 12:31 | prayer 礼拝 祈り