「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ:religion 宗教( 1 )


2005年 06月 17日

religion 宗教

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哀れむべきかな、悲しむべきかな、
自意識の過剰と自己愛がせめぎあう虚偽の世界を。
宗教を共にするもの同士が営む社会でありながら、
宗教とは最もかけ離れた振る舞いに満ち満ちているとは。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

道はいろいろ違っても、行き着く先はただ一つ。・・・ひとたびメッカの聖所に到着してしまえば、今まで喧嘩していたのは道についての争いであって、目指すところはただ一つだったということが誰の目にも明白になる。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

ここでいう“メッカの聖所”とはのことである。



宗教というものがいったいいつ完全にひとつであったことがあろう。…一つになるのはかしこにおいて、彼岸においてのみ。ここ、つまり現世では絶対にありえないことだ。この世では、各人それぞれに望むところが違い、欲するところも違う。こんなところでは「一に帰す」ということはあり得ない。ただ終末の日、一切のものが一となる日、全ての人の目がじっと一箇所を凝視し、全ての耳が一つの耳となり全ての舌が一つの舌となるときに、初めて「一に帰す」ということが実現するのだ。

偉大な人々の言葉は様々に違った外形を取るが、真理は一つであり、そこに至る道もまた一つであるが故に、みんな同じ一つの言葉でしかあり得ない。言い方はいろいろ違っても、意味するところはただ一つ。違いは外形だけで、意味は全く一致している。

・・・われはすべての者に、それぞれに見合った特別な方法を授けてある。
一人ひとりが、そのものにしかなしえぬ方法でわれを讃える。
・・・
だがわれはあらゆる純粋とあらゆる汚濁から超越した存在である。われは清濁すべてを飲み干す。
われに届くのはただ賛美のみ。賛美の回数や賛美の美辞麗句が届くのではない。
ヒンドの人は彼らの流儀に従う、・・・、シンドの人は彼らの流儀に従う。
・・・われは崇拝するものの舌や、言葉を見るのではない。その心と、意図とを見るのである。言葉による敬意を受け取るのではない。心による敬意を受け取る。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)



宗派も参照


尚、日本の宗教については [教科書が教えない日本の宗教史 宗教と国家の蜜月]  小池壮彦  「宗教」  ミリオン出版社  2013年4月5日  が大変興味深かったが、参考文献や何らかの裏づけ資料等の有無は不明である。
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by Emi_Kikuchi_jp | 2005-06-17 07:20 | religion 宗教