「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

emikikuchi.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:daily life  中東の日常( 28 )


2016年 03月 14日

15年ぶりにマケドニア人に会った! と思ったら・・・

いつもの様に、週に一回の買出しの帰り道。

最後の曲がり道を曲がれば、もうすぐお家、というところに、2人の女学生が段差の歩道に座り勉強しています。

すると、一人の子が立ち上がって、荷物手伝いますよ、と、私の買い物袋を一つ持ってくれました!
今回は、そんなに重くなかったので、何回も断ったのですが。

トルコ人かと思ったら、マケドニア人でした!
ああ、マケドニア、懐かしい、バックパッカー時に通り過ぎた国。

モスクをみたことしか覚えておりませんが。。。

東欧は、アイスマニアの私が、クロアチアで、人生生きてきた中で一番おいしいアイスクリームを食べたこと以外、あまり覚えておりません。。。 元々、地図も持たず、目的もなく、たまたま行きましたから、国に入ってはじめてその国名を知るという。モンテネグロ、セルビア、ボスニア等々。。。

そういえば、日本を出て、はじめて中東に来た当初、告白されたのが、ボンバーヘアーのマケドニア人だったのを思い出しました。



d0065502_21253319.png






後日。
外出時に、また彼女に会えました!

あれから、マケドニアの歴史を色々調べましたよ、とお話したら、「実は私、アルバニア人です。アルバニア(の一部?)はマケドニアに占領されて、今はマケドニアですが、元々私たちはアルバニア人です。」

平和ボケのバックパッカーだった頃、ぶらぶら歩いていたカイロでユーゴスラビア航空を見て、なんとな~く地図も持たずにユーゴスラビアに飛び、空港で日本人に偶然出会い!、コソボがユーゴスラビアにある、と聞いて、ユーゴスラビアからコソボに入ったのですが、丁度空爆後で、電気も十分になく、くたくたに疲れているのに、蝋燭を灯しながらアルバニアとの紛争について延々と語るホテルオーナーのお話を半分寝ながら聞かされたのを思い出しました。あの時隣にマルタ航空もあったのですが! 

若い頃は日本と異なる国々を見てみたかった。今なら迷わず欧米諸国に行きますが、それだけ年を取ったということでしょうか。

あの当時も建物などに紛争の残骸があちこちにみえ、その後は国境が曖昧な国々での移動でわけの分からぬうちに捕まり裁判にかけられ、ユーゴスラビア航空を見るまでユーゴスラビアを知らなかったのにも拘らず「ユーゴスラビアが大好きで来たのにこの仕打ち」と嘆く私に同情した裁判長に救われ、国境に捨てられ国連に拾われるという、平和ボケゆえに悲惨な目にあったのですが、日本史をずっと専攻してきたせいか、世界史に全く無知で、様々な国に赴く度に現地の人々に教えられています。ああ、若気の至り。。。

バックパッカーって、時々やらかしがち、 と思ったけれど、そういえばコソボの国境を守っていた国連の兵士に、初めてバックパッカーが来たよ! と言われました。やらかすのは、極少数派かもしれませんね。。。




d0065502_2128620.png






アルバニアの国旗。
(このブログを見た上記の女の子が、マケドニアではなくアルバニアの旗を載せて欲しい、と言うので。。。)

中東もそうですが、鷲のデザインがよく見られるのはなぜでしょう。


余談ですが、大学のクラスメイトの大半はアゼルバイジャン人だったのですが、ある生徒に、あいつに「君アルメニア人に見える」と言ってみて、と頼まれて言ってみたら、クラス中が大騒ぎ?になった事を思い出しました。


世界各国、周辺諸国とは色々ありますね。。。
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2016-03-14 21:32 | daily life  中東の日常
2016年 02月 14日

アラブは何でも命がけ!?

d0065502_17214578.jpg




土木工事の様子。

アラブ世界では、腰に紐を巻いて屋上から壁を伝って何かを修理することも珍しくありません。ヨルダン大学の図書館で勉強していたら、2階の窓の額縁に立った丸腰のおじさんが、窓の真下にいる生徒たちに、「おじさん落ちるかもしれないから遠くにいきな!」と叫んでおりました・・・。それでも中々席を立たない生徒たちは、落ちてきたらそれは仕方ないと覚悟を決めているのかしら・・・?! 窓ガラスごと落ちる可能性があったのに・・・!!
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2016-02-14 17:37 | daily life  中東の日常
2016年 01月 25日

大親友が大統領と仲良くなっていた!

エジプト時代、私には大親友が2人いた。
大親友と言うかもう家族同然で、よく家に居候したし、祭日には必ず泊まりに行った。しかも2人とも男だ。


一人は、エジプト人の!君。彼を男と感じたことも、アラブ人と感じたことも一度も無い。マレーシア人の女の子と思って接してきた。

!君はタンタの、土でできた質素な家に住んでいる。祭日は必ずカイロからタンタにやってきて、彼の家に泊まり、彼の部屋を乗っ取り、彼のベッドで寝た。彼は居間で寝た・・・。彼の部屋の隣は動物を飼っており、体中がダニや蚤でぶつぶつだらけになるのだが、それでもまあよく通った。彼はスーフィー指導者の家系で、家には、その恩恵を受ける人々が良く訪れた。彼の父親は私を大層気に入り、家にお邪魔すると夜遅くまで私とおしゃべりするので、奥さんが度々怒っていた気がする・・・。

さて、彼が何を話すかというと、朝から晩まで年がら年中クルアーン秘話やハディース、スーフィー 聖者たちの逸話。それ以外の話は一切無い。それを、陽気に、笑顔で延々と話し続けるのだ。彼こそが歩くイスラーム。今ふと思い出したが、ある日彼は、警察の検問所も警察に警察と思われ素通りされる、警察から譲り受けた謎のポンコツ車を運転しながら言っていた。女性がムハンマドを訪れ、私は不倫をした、と告白した。ムハンマドは彼女を帰宅させた。後日、また彼女はムハンマドを訪れ、彼は再度帰宅させた。それが何度か続き、とうとう人々の知るところとなり、人々がシャリーアによる刑を彼女に処した、と。うる覚えだが。

ともかく、彼はアズハル大学を首席で卒業し、ダール・アル=イフター 宗教省?に暫く勤めた後、今ではアズハル大学で教壇に立っている。


もう一人はボルケナファソ人の?君。ある導師を訪れた際、彼が同じ部屋に待機していた。私に一目ぼれした?は、導師がメモした私の番号を盗んだ!

彼は既に既婚者で、子供も3人いた。超人的な理性を持ち、自分の感情を完全にコントロールできる。常に冷静で、何を話しても的確な答えが必ず返ってくる。そんな彼だから、(宗教的に婚外恋愛は無いので)日本人との結婚はありえないと理性で分かっている為、自分の恋心は心に封印し、自国の女性と結婚すると言っていた。(大概一人目は家族に従い、それ以降は自分で選ぶ傾向にある)

彼の父親はティジャーニー。
彼はエジプトで貧困地区に住み、他のアフリカ人同様「チョコレート」と大人からも子供からも馬鹿にされていた。(ヨルダンのアフリカ人も同様のことを言っていた)彼の家によく居候し、まあ色々語り合ったものだ。彼の末娘は私に良く懐き、私の帰宅時は毎回涙した。人生で初めてママ、と私を呼んだのも、彼の当時の末息子だった。

そんな彼も、段々各国を行き来する様になり、ある時はアラブ首長国連邦の皇太子を訪れ、馬一頭一頭に其々クーラー付の個室が与えられている、我々人間より良い暮らしをしている、等と話しながら大豪邸の写真を見せられたりした。そうこうしているうちに、彼が自らデザインし各国から発注した材料で、彼の地元に豪邸を建てた。正真正銘のスーフィーであるのに、超厳格なサラフィストさえそれを見破ることは無かった・・・。本当に世渡り上手!

諸事情で、誰にも告げずに、日本人の助けを借りエジプトを極秘出国したのだが、彼にだけは空港で別れの電話を入れた。絶対的信頼があったから。

彼は忘れた頃に便りをよこすのだが、数日前に久しぶりに連絡が来た。驚いたことに、アズハルの大学院を終え(卒院論文は「タフスィール学者達に見るスーフィズム」)帰国した彼は、計画通り第二婦人と結婚し、結婚式及び子供の誕生時には、国の大統領(しかもクリスチャン)が足を運び祝い、結婚式はテレビ中継されたそうだ! 子供の誕生に寄せて家に届けられた沢山の贈り物。常に彼の周りには人々が囲い、その奥には彼の運転手付の数台の車。トイレの画像まで送ってきた。?君がトイレで自撮・・・ もしかして?君、この写真便器に座りながら撮りました? なんて写真まで、私服を着た国のトップとの和やかな写真からトイレの写真まで沢山の画像を送信してきたのだった・・・。?君いつの間に有名人になったの。しかし超人的な理性と超人的な感情コントロール、そして教養に、人との振る舞いの心得と賢いやり方・知恵、それらが彼の今の地位を築いたのだろう・・・


d0065502_1163053.jpg


画像;ボルケナファソの大統領と、?君の5人目の子供。
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2016-01-25 11:25 | daily life  中東の日常
2016年 01月 21日

中東の日の丸

d0065502_134599.jpg




日本で散見されるアメリカ国旗のデザインの入ったファッションをいつも?と思っていたけれど…

中東で、日の丸を発見!

と早速話しかけたところ、アメリカに住んでいたときに購入したとのこと。
腕には、JPNというスティッカーがありました。
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2016-01-21 01:37 | daily life  中東の日常
2015年 11月 06日

ヨルダン留学を振り返って

ヨルダン留学を振り返って・・・(長文。初回投稿より固有名詞の誤字などの訂正済み)

大学院も終盤に近付いてきたので、ヨルダン留学を振り返ろうと思う。

エジプトの大学を終えた私には、どうしても完読したい3冊の本があった。そして、もう一冊、エキサイトブログにその記述は無いが、自身のスーフィージャーニーの最後を飾ったリファーイー教団の最大の秘蔵本-つい最近まで写本で秘蔵されていたもの-も出来れば学び、日本語に訳したいとも思っていた。(何を隠そう、その秘蔵本に記されている、リファーイー教団を代表する詩歌が歌われた、デリゾールの聖廟の主、アル=イマーム・アル=サイエド・ムハンマド{別名アブー・アービド・アル=イバーディー・アル=フサイニー}こそ、息子のご先祖様である)

そこで、ヨルダンにお住まいの、数年前に訪れた、その教団のある導師に連絡し、私を警戒し来るなと言う新婚の妻とも夫婦喧嘩の後電話で和解し、無事彼の家に居候し、学びたいことを全て学べることとなった。

暫くして、彼の訃報を人伝に知る・・・。

彼の息子に連絡をするも彼はアメリカ在住。
どうしたものかと迷っていると、トルコはイスタンブールへの大学院留学を勧められる。奨学金もある、ということで、受け入れ先に赴き、あるスーフィー教団の施設に送られる。大学院入学までその施設でトルコ語を学ぶとよい、ということだったが、何故か先生として招かれ、しかもその実態は、政府から多額の支援金を貰うも、入学時の契約にある奨学金サポートをせず、貧しい女学生達は家族と数ヶ月連絡していない、と、契約書を手に涙ながらに私に訴えてくる様な施設で、私自身も散々な目に遭い、危険と隣りあわせで、日本大使館は領事宛のヘルプメールをいざと言う時の為に常に用意しいつでも送信出来る様にしておいた程だった。そして、これが人生でスーフィー教団と関わる最後であると悟った時であった。(コンヤであればまた事情は異なっていたはずだ。イスタンブールのスーフィズムは、インドに続きおかしなものであったし、スーフィーでない導師達も、アラブではタブー=つまり宗教的にもタブー な事も慣習化していることがわかった。アラブ圏でも非イスラーム的に感じることが多いが、アラブ圏を出るとそれがより増す)

教団とは無関係だが大金の盗難にも遭い、命からがらホテルに逃げ、そこでお世話になったのは、サウディアラビアから追い出され職を探している、シリア人難民だった。彼のご家族はヨルダンに一時滞在している。トルコよりヨルダンが良い、と何度も説得された。ヨルダンの大学に通うマレーシアの学生達とも知り合い、彼らによって私の大学卒業証明書がヨルダンの大学院で受け入れられる事を知った。(彼らとは今でも友人である)

そのシリア人は毎日の様に幼い息子を抱っこしあちこちへ面倒を見てくれた。初めはイスタンブールで学ぼうと考えていたので、住まいや幼稚園、例の3冊の本を学べる団体、トルコ語を学べる団体等を探し回ってくれたのだ。住まい探しに引越し、何個もある重いダンボールなど、全て彼が運んでくれた。(後に出会ったシリア人は皆反政府であったが、彼は親アサドであった。ちなみに彼の妻は欧州で数十年反アサドの指揮を取る著名なムスリム同胞団の導師の姪である)

アラビア語を教える団体や大学を幾つか回ったが、やはりここは非アラブ圏であり、アラビア語のレベルは、所属していたカイロの大学にも劣るもので、3冊の本を教えられる人物がアラブ人でさえいなかった。特に3冊のうちの1冊は、古典書で、スンナ派4法学以外の学派も加えた、イスラーム法学の比較書なのだ。

トルコ語を学べる団体がやっと見つかった。しかも無料だ。授業はちょうど息子の幼稚園と同じ時間。授業当日、教室に入ってすぐ、運転手から電話が来た。息子さんが帰ってきましたよ、と。聞くと、今日から時間が早くなりました、と言う。イスタンブールに着いてからの数々の災難の上に、授業初日でのこのタイミング。もうこれはトルコではない、と悟った。
結局、そのシリア人に空港まで送られ、ヨルダンに到着した。(彼と彼のご家族とは後にヨルダンでお会いしたが、カタールに職を見つけ、ヨルダンを去って行かれた)

ヨルダンの空港では、先に連絡しておいた、上記の導師や王家の人間の本を出版している出版社の社長が迎えに来てくれ、彼の知人のスタディオに暫く滞在することとなった。しかし、多忙の彼とは、翌日ストーブや毛布を持ってきてくれた後、暫く連絡が途切れた為、自分で住まいや幼稚園を探すこととなった。後に住むこととなった住まいが、彼のすぐご近所で、息子が入園した幼稚園に彼の息子さんも通っている事がわかった時は、彼も驚いていたが。(私は彼のお宅を知らなかった!)

アンマン中全ての大学を回り、自分に合った大学院を見つけ、入学願書を出した。それと同時に、いつ何があってもすぐ出国できるように、初めの目的であった3冊の本を教えてもらうべく、出会った人に片っ端から聞きまわった。その結果辿り着いた、皆スンナ派なのだが異なった信条を持つ様々なイスラーム団体から、夫々の信条によるおかしな目に遭い、新たな先生を探し、辿り着いたのは、お隣の県に住む一人の導師だった。毎日、彼の家に朝一番に行き、息子が幼稚園にいられるぎりぎりの時間まで本を解説してもらった。彼によると、女性に教えることはないという。 

この中東の日々、女性では私がはじめて、とどこに行っても言われた。この導師もそうだが、厳格なサラフィストだと、モフラム(男性の血縁者)無しの貴女の滞在を認めるファトワを貰ってきなさい、と言われることもあった。モフラム無しの女の留学生は世界中に溢れているのだが。ヨルダンが、エジプトやシリアに比べ宗教的に大変厳格であることを思い知らされた。ヨルダンではサラフィストのみでなくスーフィーも厳格であった。彼らは皆パレスティナ系で(ヨルダンでは生粋のヨルダン人に会うことが稀だ)、パレスティナはより保守的という。

導師とのレッスンが始まったが、初対面から、2人はいつもかみ合わず、毎日泣かされた。
バス停まで彼が車で送り迎えしてくれ、授業料も勿論とらない。断食月が始まってからは、彼は夜中じゅう起き、朝の礼拝後に寝て、1,2時間経たないうちに私に起こされる日々。しかも私の為に、朝玄関の鍵を開けっ放しにしてくれる。何か必要なものは無いか、と、毎日の様に聞かれ、食事も入れ物に入れ持たせてくれる。本当に親切なのだが、勉強以外の会話が非常に精神的苦痛なのだ。非アラブへの蔑視に、完全なる女性否定。そして、戦闘員への絶賛・賛美と、あらゆる人・ものへの否定。毎日彼の元に向かうのが嫌だったが、何としても3冊の本を完読すべく、我慢して通った。

彼は断食月後多忙となったので、また新たに教えてもらえる人物を探し、彼のご近所の、今度は、アルバニア出身の近代のハディース学者・イマーム・アル=アルバーニーの直弟子のお弟子さんである導師の下で勉強を教わることとなった。彼によって、例の導師が、ある信条グループに属し、彼のグループは彼らと対立していることがわかった。同じハンバリー及びワッハーブ派の、サラフィスト達であるのに。
ともかくも、約2年半のヨルダン滞在、大学院・及びそれ以外の勉強の全てを教わり、家族ぐるみでお世話になった。各国で様々な宗派及びイスラミック・グループに接してきたが、どの集団も、ちょっと言動を疑問に思うことが多少なりともあったが、彼らとは無かった。流石、非アラブを師とする、ピュアな学術集団なだけある。

そうこうしているうちに、無事大学院の入学が決まり、奨学金も確保し、大学院が始まった。例の3冊の本も、無事に完読した。暫くして、隣国に、国家樹立宣言をする集団が現れた。上記の例の導師と、同じ信条集団であった。

上記の例の導師は、以前勉強を教わっている時、今迄に何回か尋問に呼び出された、と言っていたから、もう今は捕まっているかもしれないし、既に渡航しているかもしれない。

エジプト滞在時、何度もヨルダンに訪れ、その時知り合った親切なホテルの従業員がいた。その後彼はサウディアラビアに出稼ぎに行ったのだが、彼や彼の友人であるシーア派は12イマーム派のサウディ人とは毎日の様にメールしあっていた。(余談だが、ニュースはスンナ派、シーア派としか記さないが、スンナ派のOO、シーア派のOO,とより詳しく記述しないと、昨今の中東情勢は理解できない。上記の導師と、アル=イマーム・アル=アルバーニーのグループの様な他のサラフィスト達との違いこそが、同じサラフィストであるISISと、アル=カーイダとの、アキーダの違いなのだ。各グループ名称があるのに、アラブのニュース含め報道機関では全く言及されない)
話は戻るが、私には、過去を手放すためにと、連絡先をすぐ削除してしまう習性があり、それは特に国を変えるとき顕著となるのだが、彼らも同様で、もう随分前にこちらの連絡先の変更と共に彼らの連絡先も削除していた。ヨルダンに再度戻って、彼のことを一番に思い出し、彼の連絡先を得るべく勤め先だったホテルに向かった。残念ながらそのホテルは辞めていった従業員の情報は分からず、がっかりしながらホテルを出たその目の前のお店に髭を生やした敬虔そうな男性がいたので、勉強を教えてくれる学者は知らないか、と尋ねた。その日から、彼に言われるがままに、今日はどこどこでイスラーム会議があるから、と、あちこちに学者探しに走り回った。話は前後するが、その頃は、まだスタディオに滞在し、住まいも探していたが、たまたま通りがかった人の子供が通う幼稚園に一時的に息子を預けていたので、一人で身軽だった。まだ、隣の県の導師達に辿り着く前の話だ。各会議の会場で、スタッフに住まいや学者の件について聞いた。その日も、いつもの様にこちらの電話番号を残し現場を去ったのだが、誰からも連絡は無かった。その数ヵ月後、大学院の願書の提出書類である英語の国家テストを受ける為にヨルダン大学を訪れたところ、入り口近くで女学生に話し掛けられた。いつかの会議で、私が話し掛けたスタッフだそうで、ヨルダン大学はイスラーム法学部の生徒だと言う。そこから、シャリーア学部及びウスールッディーン学部の女学生達に勉強を教わるようになり、教授陣や彼女達から、上記のイスタンブールの団体が、悪名高いことを知った。多分に、酷い目に遭った学生達がいるのだろう。彼女達は非常に精力的に勉強の面倒を見てくれた。外国人の学生に無償で奉仕する位だから、皆かなり敬虔で、黒衣装に顔を全て隠すサラフィストの女学生ばかりだった。(超厳格なサラフィストの日本アニメオタクもいた!)断食月には朝の7時に他の県から大学に来てくれる子もいた。(サマーコースは9時から13時までなのに、6時半から4時まで追加料金無しに息子を預かってくれた幼稚園にも感謝!)イスラーム法学部なのに、断食月の日中に隠れてタバコを吸う学生達がいて、「思想は間違っているけど、隣国だったら即罰せられるのに」という彼女の発言は印象的だった。思想が異なっても心情的に共感している人は少なく無い。
ともかく、私の大学院の卒業は、彼女達と、上記のアル=イマーム・アル=アルバーニーのお弟子さんの学者の手による、と言える。日本に留学している外国人学生も、日本人の多大なサポートが得られていることを心から切に願う。
ヨルダン滞在も終盤に近付いて、例のサウディ人が、一般公開しているエキサイトのアドレスに10数年ぶりにメールをよこしてきたことは余談である。

最後に、泣きながら毎日通いつめた日々、精神が疲労し、心が死んだ日々を救ってくれたのは、何と日本のエンターテイメントだった。以前はお篭りをし、日々苦行や礼拝、読経に勤しみ、世俗を嫌い、音楽やエンターテイメントを完全否定していた。が、苦痛の日々のとある日、ヤフーメールにログインする際、たまたま目にしたヤフートップニュースの画像にあった女性アイドルの太陽の様な笑顔に癒され、今まで無意味と思っていたテレビをユーチューブで見るようになったのだ。中東の日常にとって非日常の日本のテレビ番組が、心に活気を取り戻してくれたのだった。どうでも良いことに笑う。そのことが、どうでも良いことでなかったのだ。ここに、人生ではじめて、エンターテイメントの有益性を知ったのだった。

ただ、音楽は、自分が学生だった時の音楽、もっと言えば、それより古い音楽ばかり聴いている。小学生の時、歳の離れた、アメリカの大学に留学中の兄の空き部屋にあったCDを好んで聴いていたからだ。その頃の音楽を聞くと心が落ち着くのだ。音楽を聴かなかった約10年、確かに心に音楽が無かった。音楽を再び聴き始めたのは、音楽を聴くとすぐに踊りだす息子の影響も大きい。

ここまで、怒涛の日々を過ごしてきた中東の16年。時々、あのまま日本にいればよかった、あの時、中東を出ていればよかった、という思いが頭をよぎる事もある。何度も死ぬ思いをしたし、修羅場を乗り越えてきた。何が正解かは、自分にも分からないし、誰にも分からない。ただ、大学院を終え、中東を出る時が、人生の大きな分岐点となることだけは、確かである・・・。
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2015-11-06 01:00 | daily life  中東の日常
2015年 09月 22日

日本を紹介する授業

某大学はイスラーム法学部の学生に頼まれ、インドネシアから短期留学に来ている女学生達に日本を紹介する授業をアラビア語で行った。

何でも、彼女たちは日本が大好きで、日本をいつも褒めちぎっているとのこと。
14~5歳の少女達。
何らかの宗教団体の様で、かなり敬虔と思われる。

実際、この手の依頼がイスラームの団体からかなりある。
実は、一番盛り上がるのは、本題に入る前の自己紹介で、
質問が殺到する為本題より長くなるほど。。。


「世界1の日本」を集めて、画像付で説明した。
世界一大きな魚市場、世界一大きな電気街、橋、駅、等々・・・

マイクが無いので、お隣の先生に説明して、先生に声を張り上げて皆に説明してもらう。
アフリカのスーフィー導師がやる手段です。導師を疲れさせない為。
私たちは大声を張り上げるのになれているから、と・・・
尤も、アフリカのスーフィー導師はマイクでもやらせるが・・・

スクリーンの機械のスイッチが入らない為、画像はコンピューターで見せて回ってもらう。
興味津々で立ち上がる皆。


最後は質問コーナーで、片言のアラビア語で一所懸命沢山質問をしてくれた。

皆どうも有り難う!


記念撮影の合間に、日本のインドネシア占領の歴史についてどう思うか聞かれた。
思えば、大学院のクラスメイトだった、いつもニコニコ笑顔のタイ人のムスリムからも、同じ質問をされた。彼が言うには、日本のせいで、タイ南部(ムスリムが多い)はマレーシアの一部になれず、仏教国の一部となってしまったと。

全く知識が無く、学校で習わなかったからよく知りません、とゴモゴモ言い訳をすると、ちゃんと勉強しなきゃだめですよ、私たちはきちんと学校で学びましたよ! と言われてしまう・・・

大変親日の彼らにも、日本に占領されたという歴史認識が確かにある。



大使館から40冊ほど頂いたにぽにかを配ると皆大喜び!
2年前のものだが、皆の好きそうなアニメや原宿の写真が沢山ある。

原宿は小学生の頃から通った、私が日本で一番好きな街!


皆、またいつの日か、どこかで~
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2015-09-22 14:11 | daily life  中東の日常
2015年 08月 11日

中東の中の日本



d0065502_2451078.jpg

[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2015-08-11 02:45 | daily life  中東の日常
2015年 06月 13日

レジの画面の円

d0065502_2472250.jpg

[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2015-06-13 04:33 | daily life  中東の日常
2015年 03月 14日

謎の子供たち・・・

タクシーが捕まらないので、タクシーが捕まる場所までバスで向かう。
途中、3人の子供たちが乗り込む。小学校高学年位の歳だ。
運賃を催促されると、反対車線の終点地に行くと言う。
反対だよ、運賃は取らないから、と、運転手が反対車線のバスの乗り方を説明する。
しかし、バスをなかなか降りない。
運転手が運賃係の男性に、あの子達降りないの? と聞く。
そのまま、どんどんバスは進み、かなり離れた別の方面へ・・・。
その間子供たちはずっと世話話。

こ れ は・・・

ただ乗りの常習犯・・・

きっと運転手も運賃係も気付いているはず・・・
それでも運賃を強要したり途中で降ろしたりせず、バスは終点に到着・・・。

中には運賃を払う余裕のない貧しい家庭の子供もいるかもしれない、という、配慮なのかもしれない・・・
いや、ただ単に、お菓子代稼ぎの可能性もあるが・・・
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2015-03-14 01:14 | daily life  中東の日常
2015年 02月 08日

「イスラム国」およびダーイシュの一連の出来事に関して

ヨルダンは大丈夫ですか? と複数の知人からメールが届いた。

相変わらずテスト期間の為ネットを見ない上、大学院の生徒達及び居住地域の住民はほぼパレスティナ系ヨルダン人、シリア人、イラク人の為、日常生活で特に変化はない。メール確認をする様日本大使館から電話連絡があった位だ。 

その為ネットを開いたら、一連の出来事について質問が届いていたので、ざっと流れを追って簡単に述べると、日本は「十字軍」として敵視されている欧米諸国とは一線を画されていたにも拘らず、今回の非戦略的な中東訪問によってターゲットにされてしまい、国家・国民を、自ら危険に晒してしまった。難民への人道支援のみが目的であれば、他にやり方があった。人質事件においても、空爆参加国に人質対策本部を置いた。トルコであれば、本来人質事件に無関係の事項を突きつけられることもなかった。
しかし、その結果、少なくとも日本国民は今まで無関心であっただろうヨルダンに興味と関心を持ち、今回の一連の出来事・空爆に、運命共同体の様な感情を持たれている様で、日本ーヨルダンの、今までほぼ見られなかった非政治的繋がりは、日本側からは強くなったと見受けられる。(ヨルダン国民は様々な問題に直面し日本に関心を持つ余裕はない)

フランス政府関連の仕事をする、政治学の博士号を持つ友人のフランス人に言われた言葉で締めくくろう。
「日本国民は本当にすごい。死刑囚を釈放しなかったヨルダン政府を批判しなかった」

これは、賞賛か、皮肉か・・・

https://www.facebook.com/pages/Emi-Kikuchi/666169066742699?ref=hl
[PR]

by Emi_Kikuchi_jp | 2015-02-08 08:02 | daily life  中東の日常