「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ: ・Rabia al=adawiya( 1 )


2008年 03月 04日

Rabia alAdawiya ラービア・アル=アダウィーヤ



「神よ、私の心は沈んでおります。どこに行けば良いのでしょう。私は一塊の石
にすぎず、そちらは石の神殿―――私にはあなたが必要なのです」
 至高なる神が、。。。
「ラービアよ、おまえは、一万八千世界の者たちの鮮血を流そうとするのか。 。。。」




伝えられるところでは、別の機会にマッカに行った時、彼女は、砂漠の真中に、彼女を迎えにやって来るカアバ神殿を見たという。
 ラービアはこう言った。
「私には館の主こそ必要なのにカアバをどうすれば良いのですか。カアバ神殿に従うことなどできませぬ。カアバの美しさにどんな喜びがあるというのでしょうか。私には“掌の分だけ我に近づく者は、誰も、前腕の分だけ彼に近づこう”(ハディース)という出迎えこそが必要なのに、カアバを一体どうしろというのでしょうか」


 伝えられるところでは、イブラーヒーム・アドハムは、14年間かけてカアバに辿りついたという。
「ほかのものたちはこの砂漠を足で渡ったが、私は、心の目を頼りに進むのだ」。。。ラクア(礼拝の1区切り)を2度くり返しては一歩前に進んだという。ところが、いざマッカに着いてみると神の館が見つからない。
「ああ、何ということが起きたのだ。私の目に何か傷害が及んだのか」
天界からの声がした。
「おまえの目には何の傷もない。だが、カアバは、こちらに向かってくる一人の女を出迎えに行っていないのだ」
。。。
杖をつきながらこちらにやってくるラービアの姿が見えた。カアバ神殿は元の場所に戻った。
。。。
「昨年はカアバ神殿が私の出迎えに来たのなら、今年は私の方がカアバ神殿をお迎えしよう」


「。。。心の深奥にあるものは明かさず、外界にあるものはその内面に入りこませません。ここにやって来る人がいても、やって来ては去り、私とは何の係わりも持ちません。私は、我が内なる心をひたすら見守ります、花の外見の美しさではなく」 

「慈悲あるお方との友 のためということで悪魔と敵対するつもりはありません。私は神の使徒――彼に平安あれ――を夢に見ました。使徒ムハンマドが“ラービアよ、私を愛しているか”と問われるので、私は“神からの遣いよ、汝を好まぬ者がどうしておりましょうか。しかし、私は神の愛にあまりに捕えられているので、彼以外の友 も、敵対も私の心中には、一切、残っておりません。”とお答えしました」


「ソフィヤーン(・サワリー。高名な法学者)が言った。
“ラービアよ、至高なる神があなたのこの苦しみを楽にするよう祈って下さい”
“。。。私の苦しみを神が欲したもうたということを知らないのですか”
“いいえ、知っています”
“知っているのに、あなたは私に、彼の求めることに反して、彼に願いをたてろと命じるのでしょうか。愛する人に反対することは許されません”」



禁欲生活を通じて自己の内面の浄化を目指した初期イスラーム神秘道大家たちの中にあって、初めて、「」という一つの理念をもたらした神秘家であった。 。。。ラービアにあっては、宗教的儀礼としての巡礼が、自らの信仰の中で内面化される過程となって現れ、。。。聖クルアーンに関する比喩的(内面的)解釈を試みた最初の人物。。。
最終的に、。。。通常、信仰の拠り所とされた「天国」と「地獄」という存在も、神のみによる真理への道を閉ざす退廃の源泉として認識されるようになったと言われる。


(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行会 より)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2008-03-04 23:39 |  ・Rabia al=adawiya