「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ:・revision as Sufi( 1 )


2007年 08月 19日

revision as Sufi  著書のスーフィー的訂正

シーア派に関する著書の訂正も参照


P12/last5 ここで言う“ムスリム”や“イスラーム”は、つまり“真のへの降伏者”の意である。 


「反抗心を示す女どもには先ずよく諭し、(効果がなければ)寝床に追いやってちょうちゃくを加えるがよい」 (4章34節)

に関するコメントであるが、これをあるエジプシャンに聞いてみると、笑われた。「それは妻が他の男と浮気した場合ですよ。」
妻の浮気を目撃または知って、彼女にちょうちゃくを加えない夫がいるであろうか。それでも初めはよく諭すよう言われるのである。
フィーヒ・マー・フィーヒ」にもこうある。
“或る日預言者(ムハンマド)が・・・帰ってこられた。そのとき預言者は皆にこう言い渡された、「太鼓を打て。今夜は都の大門のところで寝を取り、明日になってから入城する」と。・・・「万一、お前がたの女房が他し男と寝ていたりすると困るからな。そんなところを見つけたら、お前たちの心は痛み、大騒ぎが出来するかも知れぬからな」と。果して、これを聞き洩らした一人の人がうっかり都に入っていって、自分の妻が他処の男と一緒にいるところを発見した、という。”


勿論、クルアーンの真理の意は、深遠であるのは言うまでもない。


P12/last2-P13 およそクルアーンでは天国の様子を、処女の乙女たちや酔わないお酒などで描写し、外面的意味に解釈すると自身が記したような意見が出るわけであるが、

「すべて理性で据えることのできないものは、象徴を使うことによって理解可能となり、次いで感覚可能となるのである。
・・・かの世界・・・のことは象徴的に描かない限り全然理解されない。我々の経験的世界にはこれに似たものは全くないけれども、象徴を使えばはっきり分ってくるのである。」 (「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)


・・・もちろん、天使にはしゃべるとかものを言うとか言うことはない。しかし、仮に・・・ものを言い出すとして、それぞれ自分のあり方を言葉で叙述すると仮定したら、こんなことになろうというのだ。 (同著)


天国・地獄、天使と人間の会話など、クルアーンは我々人間に分るように象徴を用いて描写されているのである。そして、霊性=精神の成長度によって、シンボル=暗号 を解く度合いもまた違うのである。

内面的意味に解釈するイスラーム神秘主義では、およそクルアーンの全ての描写が象徴であるといってよいだろう。また、こうも言う。
「天国には段階があるので各人に見合った天国があるのだ」(あるタリーカ代表の言葉)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:06 | ・revision as Sufi