「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ:  marriage 結婚( 1 )


2007年 08月 18日

marriage 結婚


夜となく昼となく、お前がた、悪戦苦闘しつつ、ひたすらの性格を匡正し、女の汚れを己が身を以て浄化しようと努めている。むしろ己れ自身を女によって浄化したらどうか。その方が、己れによって女を浄化するよりずっといい。
・・・(女は男にとって自己鍛錬のための絶好の手段だから)預言者は「イスラームにおいては修道院制度は認められない」と仰せられたのである。修道僧は・・・世を棄てる。これに対して神は預言者にもっと玄微な道を示し給うた。その道とは? 妻を娶ることだ。・・・女の横暴に堪え、女の馬鹿馬鹿しい話を辛抱して聞き、女に踏みつけにされ、それで自分を鍛錬せよというのだ。
・・・自分の汚れを女にこすりつけて落としてしまう。こちらの性格は忍耐によって次第に善くなってゆき、・・・
つまり女たちを一種の着物と考えて、自分の不潔さをその着物にこすりつけて取り除くよう努めるのだ。そうすれば自然に清純な身になってくる。
・・・つまり男たるもの、意地を張ったりのぼせ上がったりせぬように心得て、そのために苦労を厭わず、妻に無駄遣いされ、着物を買わされる苦労もよく堪え、その他数え上げれば際限もない様々な苦労の苦労を切り抜けて、ムハンマド的理想世界の現実を目指すべきである、というのだ。
・・・イエスの道は人里離れたところに独り住んで己が悪と戦い、己の欲求を抑えきることにあり、ムハンマドの道は女や男の横暴と、彼らの引き起こす苦しみによく耐え抜くことにある。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

・・・女性が読まれると、それはこちらのセリフだ、忍耐しているのは女の方だ、と不快に思われるであろうが、これはあくまで男性を前にマウラーナが語られた言葉。金曜の夜=ライラトゥ・アル=ジュムア にスルターンの副相の邸でしばしば行われたという婦人だけの会合でのマウラーナの語録は残っていないが、上記の発言の女の部分を男にされていたことであろう。
また、これは、結婚に限らずあらゆる人間関係において共通する教えなのである。

「例えると、独身の人間は、歩いてに向かう者。既婚者は、車で神に向かうようなものだ。」 (あるイスラーム神秘主義者の言葉)


しかし、マウラーナはこうも述べられる。
「ムハンマドの道が無理なら、せめてイエスの道を行け」 (同著)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-18 20:35 |   marriage 結婚