「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ:  metempsychosis輪廻転生( 1 )


2007年 08月 18日

metempsychosis 輪廻転生


本当に奇蹟といえるのは、人が低い段階から高い段階に上らされるということだ。あんなところから出発して、こんなところまで辿り着いた、それが奇蹟なのだ。もともとわけも分からなかったものが理性的に考えるようになり、無生物が生命体となったことだ。考えてみれば、そなたも元来は土塊であり無機物だった。それが植物の世界に連れてこられた。植物界から旅を続けて血塊となり肉片となり、血塊と肉片の状態から動物界に出、動物界からついに人間界に出てきた。これこそ奇蹟というものではないか。

神はこの長いたびをそなたが無事終えるように取り計らってくださった。途中でいろいろな宿に止まり、いろいろな道を取りながら、はるばるここまでやってきた。・・・同じように、これとは違った種々様々な世界がまだ幾つもあって、やがて、そこにも連れて行かれるのだ。疑心を抱いてはならぬ。このようなことをいって聞かせる人があったら、素直に信じることだ。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

たとい世界中をくまなく歩き廻ったとしても、もしかのもの(神)を求めて歩き廻ったのでないならば、もう一度改めて歩き直す必要がある。
・・・「せっかく方々歩き廻ったが、・・・大蒜と玉葱を求めての旅だった・・・。」

(同著)

地獄に住んでいる人々にとっては、この世にいるよりも地獄にいる方が幸福だ。というのは、この世では神のことなどすっかり忘れているのに、地獄では神を意識せざるを得ないからである。神を意識する―――これほど楽しいことはない。だから、あの連中がそれでもこの世に戻りたいと願うのは、この世が地獄より楽しいからではなくて、神の慈悲の顕現を味わえるように何かこの世で善行をしたいという気持ちからである。

(同著)


しかし、輪廻がないと確信していると輪廻から救われるようであるので、輪廻をしない教えの宗教のほうがより高尚のようである。参照:「チベット死者の書」 イスラームの教えに輪廻はない。
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-18 20:01 |   metempsychosis輪廻転生