「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ:  love 愛( 1 )


2007年 08月 19日

love 愛


愛を知らせるのも明かすのも
もしも確かな証拠を欲するのならば
愛のみに求め
愛から顔を反らすな

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

・・・愛を衣装として身にまとうものは、貪欲になることもなく、また全ての欠乏からもその身を清められると説く。愛は全ての病を治療する医者であり、傲慢や自己愛を癒す薬でもある。さらには、地を歩くこの肉体を、空高く飛躍させるのもまた愛である。…うぬぼれ、執着、ねたみ、うらみ、その他もろもろの邪な習慣から、人を遠ざけるのはただの愛のみである…

(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より)

問うた、「愛とは何か?」
応えた、「知りたくば愛せ」

(「ムジャールス・サバア=メジャーリスィ・セバア」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

愛によって苦味も甘くなる
愛によって銅は金にもなる・・・・・・

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

泣け! あなたの隣人に聞こえるように大声で泣け
泣け! 乳母の愛と優しさは子供の泣き声によって目覚めるもの
乳母があなたを冷たくあしらい、世話を怠ったとしても
それでもあなたはただ泣いて泣き続けよ
泣く以外には、愛は与えられないのだから

(「ディワーン・カビール=ディーヴァーヌ・ケビール」-「ルバーイーヤート=四行詩集」- マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

愛を失った者こそ哀れ
翼を失った鳥にも似て

(「ムジャールス・サバア=メジャーリスィ・セバア」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

運は気まぐれ、友にもなれば敵にもなる
けれど愛は常にあなたの友であり続ける
愛なくして生はない、それを生と呼ぶな
愛なくして生に何ほどの価値があろうか

(同著)

外側に顕われるものに真実の愛は宿らない
無惨に枯れ果てて終わりを迎えるものには

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

怖れるな、「われらはかの王には従わぬ」、などと。
優しきものを愛するのは、いともたやすいこと。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

神を求めるには、戦慄と強烈な愛が必要だということである。宗教的な戦慄というものが身に備わっていない人は、戦慄している人々に奉仕するのがその役目だ。
・・・果物は木の幹にはなりはしない。・・・枝の先だけが戦慄する。・・・木の幹が戦慄しだしたら、その木ももうおしまいだ。慄えずにどっしり落ち着いて、慄える枝に奉仕する方がどんなにましかわからない。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

どんな所にいようとも、そんな気持ちでいようとも、常に愛する人、恋する人であろうと努めよ。愛がそなたのものとなれば、そなたはいつも愛する人だ。墓中にあろうと、復活で出合わそうと、天国におろうと、いつまでも、いつまでも愛する人だ。

(同著)

・・・君の名は我が舌を一瞬も離れることなく、君への思慕は我が魂の奥処に住まう。・・・

(同著)

「愛は、始まりなき永遠から出て、終わりなき永遠へと向かったが、一万八千世界に、一人として、愛の果汁を一滴だに飲もうとする者は現れなかった。最後に、愛は神にまで達し、この言葉を残した。すなわち“神に愛され、神を愛する人々”(クルアーン5章54節)」

(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行会 より)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-19 11:21 |   love 愛