「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ:  this world 現世( 1 )


2007年 08月 18日

this world 現世


「人の目に、様々な欲情の対象が美しいもののように映る。女たち、子供たち、積み上げられた金銀の山、立派な馬、家畜に田畑。これこそ儚い現世の楽しみというもの」

クルアーン3章14

一般に、全て願望とか嗜好とか愛情とか同情とかいうものは、その対象が父母であれ、友人であれ、天地自然であれ、庭園、邸宅であれ、学問であれ、行為であれ、食べ物、飲み物であれ、いずれも同様である。全て人は(窮極的には)神への欲望を抱いているのであって、今列挙したものはどれも(を匿す)幕帳となる。この世を去って、幕帳に妨げられずに直接かの大王を拝する時、人々は始めてこういう事物が全部幕帳であった、・・・自分が本当に求めていたものはかの唯一つのものであったことが分る。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

一たん神という言葉を口にしたからには、たといありとあらゆる災禍が雨のごとく降りかかろうとも、びくともしないだけの覚悟が必要だ。

(同著)

現世を恋い慕う人々とは、まるで壁を相手に情熱を傾けているようなもの。
壁を照らす光を届けているのが、太陽であることに気づかない。
彼らは光の源泉である太陽の存在を否定し、壁に執着し続ける。
そして太陽と光とが彼らの中で合致するまで、廃墟に自らを幽閉し続ける。

(「マスナウィー=メスネヴィー」 マウラーナ著 -「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)

人間の内部には一種独特な情熱と苦悩と不安と焦燥感が働いていて、・・・たとい何万の世界を我がものにしようとも絶えて心は静まりもせず安らぎもせぬ。こうして人々は次から次へ様々な仕事・・・職業・・・地位・・・天文を学び医術を修めなどしてゆくが、・・・心の平安は得られない。本当に望んでいるものが手に入らないからである。
・・・この故に人々は様々な慰みを求め、・・・追い求める。が、それらはみんな梯子のようなもの・・・。・・・さらば一刻も早く目がさめてはっと気づく人こそ幸いな人と言うべきだ。・・・梯子の途中で・・・一生を無駄にしてしまう心配がなくなる。

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

・・・注意しておくが、絞首台は全部材木でできたものとは限らない。高位、高官、現世の栄達、そんなものもまた、ものすごく高い絞首台だ。神が誰かを懲罰しようとし給う時には、その人を現世で高い地位につけ、強大な王国の主となし給う。ファラオやニムロードなどがそのいい例だ。こういう高位はいずれも絞首台のようなもの。神は彼らをそこに吊して、万人の目にさらし給う。

(同著)

よろず、何事であれ
 捜さなければ見つからぬもの
ただこの友だけは、不思議なことに
 見つけてからでなくては捜せない。

サナーイー

(同著)

わが内に精神は哀れにも貧窮し
 わが外の肉の身はいたずらに肥え太る。
悪鬼らは吐き下すほど食い過ぎて、
 聖王はむなしく飢えて痩せ細る。
さあ、治療すなら今のうち、
 地上にメシア(わが内なる精神を指す)がいるうちに。
メシアが天に立ち去れば、
 服薬しても効はない。
(12世紀ペルシャ詩人ハーカーニーの詩句)

(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)

「人間は理性的動物である」という。してみれば人間には二つの側面があるわけである。この世において人間の動物性の養いとなるものは煩悩と欲情であり、人間の真髄となるものの養分は知識と叡智と神の直感である。・・・動物性は神から遠ざかろうとするが、その人間性は官能的世界から逃げ遠さかろうとする。「汝らの中には信仰のない者と信仰深い者とがある」(ハディース) 二人の人間が同じ一人の人間の中にあって互いに戦っているのだ。

どちらに分があるか、この綱引き。
 運命の嘉する方の勝ちになる。 (作者不明)

(同著)

その戦場がこの世である。
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-18 16:50 |   this world 現世