「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East  by  Emi Kikuchi

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カテゴリ:  Fihi Ma Fih ( 1 )


2007年 08月 18日

Fihi Ma Fihi フィーヒ・マー・フィーヒ


「フィーヒ・マー・フィーヒ」(日本語訳は「ルーミー語録」)からの引用とコメント


「元来、わしには心の一番深いところに隠された不思議な耳があって、誰でも(信仰に対する)疑惑や偶像崇拝の心や不信の心の腰帯を断ち切ると、ぷつんという音が、わしのその隠れた耳に聞こえてくる。確かに断ち切れる音がわしの魂の耳に響いてくるのだ。」(預言者ムハンマド)其の1より
ぷつんとなって初めて信仰の道に入るのである。


「彼は心眼(意識の最深層に開けている精神的な眼)に、ありありと事の真相が映し出されるのを見た。すなわち現に礼拝しつつある彼の仲間はイマーム(先導)の後に続いて、一人残らずマッカの方角に背を向けており、反対に師の範にならって礼拝に参加しなかった二人の弟子だけは顔をマッカの方角に向けている。」其の3より


「言葉などというものは瞬間にして消えるものだ。音や声は儚く消える。唇や口も儚く消える。」(神秘道におけるルーミーの師、ブルハーヌ・アル=ディーン・ムハッキク)其の4より。


「信仰のない人は自分の鏡にぜんぜん気づいていないからである。」其の6より 
ムスリム、という概念であるが、イスラームにおいては、人間は生まれながらにしてムスリムである、と据えている(P12)。つまり、鏡は皆に平等に内在しているということである。そして、その鏡の存在を代々受け伝えられ、その鏡のことは知っているのだけれど、所有に至っていないのが大半のムスリム及び各宗教宗派に属する人々(Aとする。ちなみに、所有に至った人が、”真のムスリム”である。後述)で、その鏡を真に所有しているムスリムはを“知る”人たちで、たとえ、名称が表面上異なるためAにとって沢山あると思われているその鏡の目的も、実はたった一つであることを彼らは“知って”おり(知る、の概念については其の11参照)、鏡の目的の名称・概念は異なってもその鏡を所有する人々こそを彼らは“真のムスリム”と見なす(「預言者ムハンマドの魂は各魂に平等に含まれている」-イスラーム神秘主義者の言葉-からである)。だからこそ、「ラストバリア スーフィーの教え」を、”非イスラーム教徒”のラシャッド氏が記し得、そして”非ムスリム”の山川亜希子さん・紘矢さんが訳し得たのであろう。
あるタリーカの代表の言葉。「神を”知れ”ば、全ての宗教が結局は同じひとつの目的に向かっていることがわかります。つまり各人は、-イスラームが一番近道ではありますが、-各々に合った道=宗教を選べばよいのです」 また、メヴラヴィー教団のシェイフの言葉。「ある時、バラの茂みがあった。そのバラは、植えるために長い期間用意された土の中に、根が深く伸びていくように、注意深く植えられていた。その根とはアブラハムである。バラは成長すると共に、きちんとしたやり方で剪定されなければならなかった。そうしないと、バラの木はやたらと成長して、庭師の意図を成就することにならないからだ。茎は良い土と、深く張った根と、剪定によって、真っすぐで丈夫なものとなった。その茎はモーゼである。ある日、それまでに見たこともないような完全な赤いバラのつぼみが開いた。そのつぼみはイエスである。つぼみが開花した。その花はムハンマドである。」「今、人類はバラの香りを必要としている。いつの日にか、人類はそれさえも必要としなくなるだろう。」ラスト・バリア 第2章)


「やれやれ、これで合点がいったわい。わしはその昔、神の王座の脚下で、サタンめがこれから世に現れようとしているところを見たことがあったが、あのサタンめがこいつだとしても不思議ないわ。サタンなるものがもしこの世に存在するとすれば、確かにこいつに違いない。」(アダムの体の中にもぐりこんだサタンのことば。)其の6より


「たとい覆いが一挙に取り払われたとて、わが信念に何ものも付加するところはあるまい」(イマーム・アリー)其の7より


「信仰のない者どもは邪神悪鬼の保護を受けて、その導きで光の中から連れ出され、闇の中へと落ちてゆく。」(クルア-ン2章259節)其の8より


「一般に、すべて願望とか とか愛情とか同情とかいうものは、その対象が父母であれ、友人であれ、天地自然であれ、庭園、邸宅であれ、学問であれ、行為であれ、食べ物、飲み物であれ、いずれも同様である。―――今列挙したようなものはどれも(神を隠す)幕張となる。」其の9より


「この世でそなたが誰かと友達になり、好きでたまらなくなる。そなたの目には相手はユースフとも見える。ところが相手がただの一度でも何か悪いことをすると、―――美形が狼に変貌する。」其の10より


「イエスは叫んだ、“主よ、山犬の仔には宿があるのに、マリアの息子には宿がありませぬ。”」其の10より 

(「(狐にはその穴があり、)鳥にはその巣がある。しかし、人の子には、その頭を傾け、安息する場所がない」 「トマスによる福音書」86)


「イエスはよく笑った。ヨハネはよく泣いた。(スーフィズムの伝統的術語では、ヨハネの精神状態を「圧縮」と呼び、イエスのそれを「伸開」状態という。)」其の11より


「己が魂を知る人は神を知る」(イマーム・アリー)其の12
これがつまり「王の王」ということ


「常々己が魂を欲情に走らぬように抑え通してきた者は必ず天国が終の住家となろう」(クルアーン79章40-41節)其の13より
「感覚器官とその対象物との接触は寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り無常である。それに耐えよ。アルジュナよ。」ということであろう。(ギータ第2章14)


「僕がライラーを愛しているのは容姿のためじゃないんだ。」(“ライラとマジュヌーン”のマジュヌーンのことば)其の16より


「「アッラーのほかに神はない」というのは一般の善男善女の信仰でしかない。精神の道にもっと進んだ人々の信仰は「彼のほかに彼はない」とあるべきだ。」其の26より




懼神・絶対帰依を中心とし、禁欲と反省による霊肉の浄化を目指した初期イスラーム主義思想に神への愛の理念を導入した最初の人物であるといわれる女性ラービアの神への愛はきわめて官能的な語彙で表現され、イスラーム神秘主義文学の先駆者ともみなされている。(「イスラム事典」)
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by Emi_Kikuchi_jp | 2007-08-18 17:02 |   Fihi Ma Fih