「中東にて」 菊池絵美 in the Middle East by Emi Kikuchi
2023-06-11T19:08:05+09:00
Emi_Kikuchi_jp
約16年深く探求した中東の宗教宗派、スーフィズムを紹介するブログ。
Excite Blog
Sema セマー
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2016-07-07T01:11:00+09:00
2018-10-17T09:17:48+09:00
2007-07-21T01:14:02+09:00
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・sema セマー
サイエドゥナー・アブー・バクルによる。
写真; Mevlana Kultur Merkezi コンヤ、トルコ
セマーとは]]>
プロフィール profile
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2016-07-06T05:36:00+09:00
2023-06-11T19:08:05+09:00
2005-06-04T05:36:11+09:00
Emi_Kikuchi_jp
profile プロフィール
生年月日 7月14日
職業
著書 「人間の中へ――中東」2004年 (第2版 2014年) 文芸社
セマーゼン レイキヒーラー(直系第6代目) PADIダイブマスター フリーダイバー 水中フォトグラファー シングルマザー
メッセージ 1 2
宗教
・「巨大な墓や下僕などなくとも私達は世界の美しさと残酷さを知ることができる。私達の神は一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ」 (「風の谷のナウシカ 7」 宮崎駿 徳間書店 ナウシカの言葉より)
(イブヌ・アラビー的思想)
・「言葉をちゃんと整えた礼拝の行為そのものよりその底に ある精神のほうがずっと大切だということである」 「似非信者の礼拝は宗教が違えば礼拝もそれぞれ違う。ところが信仰は、宗教が違っても変わることはない」 (「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」 談話 其の八 より-)
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お勧めの本 奇跡講座 ワークブック
お薦めの映画 La planète bleue (deep blue)
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Sayedna Othman サイエドゥナー・オスマーン
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2016-02-07T22:08:02+09:00
2016-02-07T22:08:03+09:00
2006-03-30T11:05:57+09:00
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・Sayedna Othman
オスマーンが教皇になった時、彼は説教壇に登った。人々は彼がどんなことを言うかと固唾を飲んで待ち構えていた。ところが、黙りこくったまま何も言わない。ただ、じっと会衆を凝視している。その視線に魅されたように、会衆は世にも不思議な恍惚状態に引き込まれてゆくのだった。・・・有難い教誨や説教を何百回聴いたところでこんな素晴しい気分にはなれっこないというようなものだった。どんなに自分で努力し、どんなに立派な説教を拝聴したところで到底望めないほど得るところがあり、玄妙な真理が開示された。
・・・やがて説教壇から下りようとしてこう言った。「弁舌で人を動かす導師よりも、行為で人を動かす導師の方がよっぽどお前がたの身のためになる」
(「フィーヒ・マー・フィーヒ」 マウラーナ著 -「ルーミー語録」より-)
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イズィーディー教=ヤズィーディー教
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2014-09-16T14:53:00+09:00
2017-02-26T10:12:21+09:00
2014-09-16T01:22:55+09:00
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daily life 中東の日常
悪魔を崇拝すると聞いたので、興味を持ち彼らの聖地に訪れた。クルディスタンではホテルに行く前に必ず車に同乗した人々がホテルに行かせず家に滞在させてくれたのだが、彼らも同様で、ヤズィーディー教徒であるモースルからのタクシー運転手の家に一泊後、聖地に連れて行ってもらい、彼らの最高宗教指導者たちと暫く衣食住を共にし、彼らの聖者達の聖廟の屋根で瞑想に耽ったのだった。
その後はシリア北部ラッカ郊外のヤズィーディー聖人一家の家に滞在。ヤズィーディーには王家の様な制度があるのだが、彼らは皆王家の血統で、王家としか結婚できないが、その聖人はゾロアスター的イズィーディーであり、王家以外でも結婚できるといい、これから信者のいるシベリアに行くのだが同行してくれないか、と、プロポーズされたことを思い出した・・・。と言っても彼は既婚者であったが・・・。彼と共にアレッポの信者の家に同行した際は、彼と同様信者に敬われ戸惑ってしまった。彼の信者と共にアレッポ空港まで見送りに行き、最後までチケットを渡したら来てくれるかという彼にお別れを告げた後、また彼の家に戻り暫く滞在。その後彼の親戚にラッカまで送って頂いたのだが、別れ際に真面目な顔で「僕はプリンスだから親戚としか結婚できない。君の様なお嫁さんを貰えます様に」と手にキスをされたのだった・・・。(20代前半の他愛無い昔話である・・・)
ヤズィーディー教徒のニュースを目にし、彼らとの思い出が蘇って来て、急ぎ著書を探し出し、彼らについて記してあるページを思わず読み返してしまった。すっかり忘れていたのだが、アッシューリー=アッシリア、カルダーニー、アルメニア、スリヤーニー=シリア正教、ナストーリー、アラミー=アラム各派の教会にも訪れ、夫々彼らと共に過ごしたとあり、うっすらと彼らの思い出が蘇ってきた。カイロ大学では、ヘブライ語学科だったのだが、ペルシャ語に古代エチオピア語、古代シリア語が必修科目で、聖書を古代ヘブライ語や古代エチオピア語で学び、イエス・キリストの言語であった古代シリア語を少し知っていたことで、彼らにとても喜ばれたのだった。とても優しくて素敵だった彼ら。今この時を、どの様に過ごしていることか。彼らは無事だろうか・・・。そして、10年前の自身の記述に改めて納得した次第であった。「サッダームがこの異民族を不当でも統一し続けた偉業を今更理解した」
クルアーンには、「貴方方には夫々宗教があり、私には私の宗教がある」(アル=カーフィルーン章109-6) 「宗教に強制があってはならない」(アル=バカラ章2-256) とあるので、戦闘員でない異教徒達が何故ニュースにある様に迫害されているのか疑問なのだが、元バアス党員も合流しているとの事で、長年のクルドへの怨念もあるのだろう。政治的な言及は中東で学生をしている為これ以上は控えるが、ともかく、「イスラム国」のニュースを耳にして、ヤズィーディーの人達と、また、シリア北部に住む、サッダーム・フセインの親戚で、これまた家に長く居候し沢山の事を学んだが、まるでイギリスのミュージシャンの様な容貌で恋に落ちてしまった為に苦渋の決断で彼との袂を分かった、スーフィー導師である部族長の安否を、気遣うのであった・・・。部族長一家とは不思議な運命で、お互いにまるで生まれる前から知っている様に心から平安を感じあった為、彼の弟である政治家との結婚話も持ちかけられたが、あの時彼の妻となっていたら、今頃大変なことになっていた・・・ と読み返してみると、ただの恋バナとなってしまった・・・
・・・ヤズィーディー教徒と、サッダーム・フセインの親戚である部族長の安否・・・?! 全く正反対の現状であり、きっとお互いに憎悪の対象ではないか・・・ ここに、日本人である自身の特殊な立場が改めて浮き彫りとなるのであった・・・
そういえば、バグダードで居候した政党党首の家、バッシャール・アル=アサドとのツーショット写真を壁に飾っていた・・・云々]]>
概念とは何か
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2014-06-11T15:13:00+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2014-06-11T15:13:47+09:00
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daily thoughts 日々の思想
例えば、黒猫やカラスが不吉だ、という概念を作ってしまうと、
それが現実となる。
黒猫やカラスはただ存在するだけで何の概念も無いが、
悪い概念をつければ悪い現実が、良い概念を定義すればよい現実が生まれる。
そして、不思議なことに、良い概念を与えたその現実が悪化することは無い。
上の例で言えば、黒猫やカラスは黒い生き物である、という事実があるだけで、
何の概念も無いのだが、我々が概念を与えることにより意味が人それぞれに生まれる。
事実は一つなのに、幾多の概念が生まれるのだ。
その概念の定義は、それぞれの環境、価値観、宗教、教育、習慣、
または経験、トラウマ等により形成される。
つまり概念とは真実ではなく、単なる思い込みなのだ。
今自分の目の前にある現実は、全て自分で作り上げている、ということである。
ここに気付かぬ限り、相互理解は無く、世界恒久の平和も訪れないであろう。
相手を知ること、そして理解するためには、まず、自分自身を知る必要がある。]]>
全ては一つ ワンネス 無神論
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2014-05-23T00:24:00+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2014-05-22T13:39:55+09:00
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daily thoughts 日々の思想
「無」は「在」の対極であり、「在」あってこそ「無」という概念が生まれた。
そして、この世界において、「無」は「在」から生まれたものであって、真の「無」は
存在しない。この世界は「在」から生まれたものであり、「無」から生まれたものではないからだ。
故に、無神論という概念は有神論の対極であり、有神論の一部なのである。
よって、無神論も有神論も結局は一つである。
「無」から「在」が生まれたと主張する者は、よくよく自分の魂の声に耳を澄ますがよい。
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全ては一つ ワンネス
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2014-05-22T00:32:43+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2014-05-22T00:32:27+09:00
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daily thoughts 日々の思想
神は唯一無二、いや三位一体、いや八百万、いや牛も神様だ・・・
等と、いつの時代も論争し、時には殺しあってきた。
全て彼らの主張は結局は一つである。
というのも、この世界は元々一つであり、万物に神が宿るからだ。
個々は幻想であり、全てワンネス、一つである。
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生まれた意味 生きる意味
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2014-05-20T13:38:00+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2014-05-20T13:38:31+09:00
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daily thoughts 日々の思想
「なぜ生まれてきたのだろう」
「なぜ生きているのだろう」
「生きている意味が見つからない」
曰く、
「それらの問いこそが意味の無いものだ。生きとし生けるあらゆる存在は、”在る”ことにこそ意味があるのだから」
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全ては自分の中にある
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2014-05-12T18:25:00+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2014-05-12T18:25:40+09:00
Emi_Kikuchi_jp
daily thoughts 日々の思想
曰く、「人に聞くことではない。マスターを自称する人々を信じるな。誰かの弟子になる必要は一切無い。全て自分に問うのだ。問うた時点で答えを知っているのだから・・・。真理は他でもない自分の中にある。これこそが、究極の真理である。」
約10年、真理と人間の本質を見出す為、50カ国以上を訪れ、各宗教宗派のマスターたちと親交を深め、衣食住を共にし、時には弟子入りし、最後に辿り着いた気付きである。
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daily thoughts 日々の思想
http://emikikuchi.exblog.jp/20692224/
2014-05-11T01:47:21+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2014-05-11T01:47:31+09:00
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daily thoughts 日々の思想
曰く、「自分自身を愛せよ」
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daily thoughts 日々の思想
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2014-05-10T00:17:58+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2005-07-03T11:49:33+09:00
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daily thoughts 日々の思想
5月
・感情が来たら、その感情に左右されず、掘り下げていったり、静観していると、その感情が気のせいだったり癖から来ていたりする。
・妄想に恋し、現実に失恋する。離婚をはじめとする別れは大体こんなものだ。
・人を職種や位で判断することは馬鹿げている。全ての魂は平等であり、その行いや意図によってのみ評価されるべきである。
・この世はまるで幻想、「自分」と信じている概念も刻々と変化し、「自分」という存在さえもイリュージョン。ならば、何ものにも執着・固執せず、永遠でないこの幻想をしばし楽しもう。
4月
・もう10年程前の話だが、ナジャフで、(誰かを)殺して欲しければ今殺すがどうするか、と聞かれた事があり、人の命が誰かの指図でこんなにも簡単に左右されることを知った・・・
この世で絶対にしてはならないことは、魂への冒涜、つまり、自殺と殺人である。
・現世の社会に真の勝敗・優劣は無い
・法律とは、自分の意志で成長しようとしない人々に刑罰を与え、彼らを強制的に成長させるものです。
従って、誰もが進んで成長しようとする四次元に、法律は必要ありません。
(「KIRAEL キラエル レムリアの叡智とヒーリング」 フレッド・スターリング著 伯井アリナ訳
ナチュラルスピリット社 より)
2013年
9月
・競争によって向上するのではなく
共生によって向上する時に来ている
8月
・「過去」も「未来」も、「今」ある。「今」を生きることによって、「過去」も「未来」も変えることができる。
7月
・「武士の心得は「用のないところへ行かない」「ケンカを売られても買わない」江戸時代の武士は、刀を抜かない。・・・刀を抜かなきゃいけない場面には絶対に遭遇しないように刀を抜く稽古をする・・・武道の神髄は「天下に敵なし」です。・・・上泉伊勢守は剣聖と言われた人だけど、この人、生涯に一度も人を斬っていないんです。・・・刀を抜かなきゃいけない場面には絶対に遭遇しないように刀を抜く稽古をする」
(「日本の文脈」 内田樹 中沢新一 角川書店 より)
2012年
10月
・「水をかぶったり、お経をあげたりするのは、自分のための修行であって、自己満足にすぎない。本当の修行とは、欲望を捨て自分以外の人々に喜びを与えることである。すると、人々に喜びを与えたエネルギーが、高次元の生命体となって自分の肉体の中に入ってくるのだ。」
(正木和三氏が生命体を通じて得たメッセージ)
2011年
12月
・「生命とは? それは愛のこと。では愛とは? それは神のことです。一人一人に必要なもの、世界に必要なもの、それが神です。音楽、調和、愛、正しい調律の科学、善良な生活によって私たちの生を祝福するために、誰もが到達する必要があり、誰もが獲得する必要のある唯一のもの、それが神です。そして、これこそがすべての善の中心テーマなのです。」
(「音の神秘」 より)
「愛の唯一の目的は美だ。生きるということは愛の行為であるべきだ。・・・完全に愛するようになるまでは、決して愛を知ることはできないからだ。」
(「ラストバリア」 より)
2010年
10月
・「聖フランチェスコの祈り」
神よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに平和を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
暗闇のあるところに光りを、
悲しみのあるところに喜びを、蒔かせてください。
おお神よ、
慰められるよりも慰めることが、
理解されるよりも理解することが、
愛されるよりも愛することが、できますように。
なぜなら、与えることによって与えられ、
許すことによって許され、
死ぬことによって永遠の命を与えられるからです。
アーメン
(「アシジの丘 - 聖フランチェスコの愛と光」 山川 紘矢・山川 亜希子・北原 教隆 日本教文社 より)
2008年
3月
・Sentimentality can be the greatest enemy of love.
The pain I have is mine. It is not yours.
You have your own to deal with whether physical or emotional.
Be yourself at all times.
Keep your mind on what you are doing outwardly or inwardly, so you may continue on the path of service.
(The Invisible Way: A Time to Love-A Time to Die (Element Classics) by Reshad Feild -日本語版タイトル 「見えない道―愛する時、そして死ぬ時」 より)
・このさきおまえはたくさんのバカに出会うだろう。そいつらに傷つけられたら、自分にこう言うんだ。こんなことをするのは愚かな奴だからだって。そうすれば仕返しなんかしなくてすむ。恨みや復讐ほど最悪なことはないんだから・・・
いつも 然として、自分に公明正大でいるんだよ。
(「ペルセポリス イランの少女マルジ」 マルジャン・サトラピ著 園田 恵子訳)
・「人間」であろうとすると「非国民」とされ、「国民」を貫こうとすると「非人間」へと傾かざるをえなかった。“相手の身になってみる”という、人間として基本的なことさえ許されなかった。
(池田大作氏のことば 彼の著作より)
11月
インドの置き土産。。。
・「統合のための混乱とは、ミロアさんにとってはスープを仕上げに掻き交ぜるようなものみたい。」 (「アロンなの -地球の次元旅行の中で出会った光の存在たち- プロジェクト IN ラニヤ」 より)
・「巨大な墓や下僕などなくとも私達は世界の美しさと残酷さを知ることができる。私達の神は一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ」 (「風の谷のナウシカ 7」 宮崎駿 徳間書店 ナウシカの言葉より)
10月
・「一日の命は、全宇宙の財宝にも勝る」
(「君が世界を変えていく」 池田大作著 毎日出版社 より)
・「宗教は一種の麻薬である」
「この世には終わりがあるのに、宗教と政治の話に終わりはない」
(あるチリ人の商人のことば)
9月
・「和魂漢才」 と日本の政治
7月
・「世界は金と女のために回っている」
(あるトルコ人の商人の言葉)
2007年2月
・「この世界は虚偽と仮想に満ちている。
神の庇護の元に、真理を探究せよ。
あなた自身すら虚偽に満ちている。
あなたの本質において、真理を探求せよ。」
・「生命の奥深くに眠る魂を探り当て、あなたの導きとせよ
肉体という名の山奥深くに秘められた財産を探り当てよ
探求者よ、能う限りの力を持って必ずそれを見つけ出せ
外ではない、あなた自身のなかにあなたの探すものがある」
(上「マスナウィー・メスネウィー」 1巻・2337、下「四行詩集」22 - 「神秘と詩の思想家メヴラーナ」より-)
7月
・必要以上口数を重ねないほうがよい
・物事の表面ばかり見ていては、真相はつかめない。
5月
・この世の一番の罪は、信頼を裏切ることだろう。
3月
「宗教と政治と風習を混同しないで頂きたい」
「過激派には、宗教的過激派、政治的過激派、風習的過激派がある」
「あなたたちにはあなたたちの、わたしたちにはわたしたちのフォームがある」
(シリア・アラブ共和国現大統領バッシャール・アル=アサド氏 29日早朝、シリア・サテライトチャンネルにて放映された欧米系のジャーナリストか中東研究者-途中から見たので確認出来ず-との英語会談にて)
経済的過激派もある
・随分前に無くしたものも、実は無くしていないこともある
2006年1月
・常に真正面を向いて生きよう。そして時々、自分の立っている場所を確認しよう
・他人が据えたガラスを見据えたいが、自分の妄想が作り上げたガラスは打ち破りたい
・「どの宗教にかかわらず、どんな宗教の儀式も、彼らをより霊性にするのです。その人がユダヤ教であろうとキリスト教かイスラム教であろうと、目的は同じです。至高の霊的存在に近づくこと、そうすることによって、純粋な霊性そのものに近づくのです。
私にとって、霊性であるとは、思いやりが深く、愛情深く、親切であるということです。」
(「未来世療法 運命は変えられる」 12章 ブライアン・L・ワイス著 山川紘矢・亜希子訳)
10月
・何事も素早く対処するに越したことはない(手遅れとなりかねない)
・イスラームのヒマールやヒジャーブ(P37など)を女性差別だ、とする人々がイスラーム教徒内にさえいるが、果たして、髪や肌を見せることが真の女性の解放であるか、と常々思う次第である。世界のあらゆる公の場でも、男性はタキシード姿であるのに、女性は、性的象徴である胸を強調した露出の高いドレスであることが多い。男性が性的象徴の部分を強調したファッションで現れたら、女性は目のやりどころを失うだろう。TVでも雑誌でもどこでも、日常的に女性の水着姿を目にする。女性の胸の谷間を見せるファッションも見慣れた。これが、解放された女性の姿だろうか。真に尊重されている印なのだろうか。私の目には、肌の露出をする女性こそが、女性差別の被害者であると映る。ヒマールやヒジャーブ、体のラインの見えないファッションこそ、女性への尊重である、と、映るのである。
・異なる思想を持つ人々を否定し非難しないこと。違いを尊重すること。思想を語り合っても、押し付けないこと。
・寛容に甘んじすぎると痛い目に遭うということ
・全てには時があるということ (旧約聖書「コレントの言葉」3;1~15参照)
9月
・国政憎んで国民憎まず
思想憎んで人を憎まず
・危険を察知したら、素早く遠ざかること
8月
・無駄な抵抗は、自己満足に過ぎない
・占領はいつか終わる (ならばなぜ占領するのか)
・良かれ悪しかれ、心に想う事は、早かれ遅かれいつか実現するということ
7月
・自分を信じすぎないように
6月
・盲目の蛾にはならない
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Kabbalah カバラ主義
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2012-06-29T05:03:00+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2012-06-29T05:02:49+09:00
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Kabbalah カバラ主義
「カバラは、忠実なる兄弟の地域からイタリアとスペイン・・・にやってきた。・・・アラビア語の文法の上に築かれている。・・・
スペインのイブヌ・マサッラは、ソロモン・ベン・ガビーロール(アヴィケブロンまたはアヴィンケブロル)の先駆者であった。・・・これらのスーフィーの信条は、「他のどんな哲学体系よりもカバラの発展に影響を与えた」とユダヤの”百科全書”は語っている。・・・アラビア人スーフィーの弟子であったユダヤ人のベン・ガビーロールが、西欧思想に途方も無い影響を与えたことは広く知られている。・・・文法と語の意味についてのアラビア語の研究が、・・・カバラのやり方の基礎になったことは疑う余地はない。アラビア語の文法はヘブライ語の模範であった。最初のヘブライ語の文法書は、ユダヤ人のサアディアー(942年没)によって書かれた。その書は、全ての(ユダヤ中期)初期の書物がそうであるように、アラビア語で「Kitab al-Lugha」という題名のもと、アラビア語で、アラビア語哲学の影響下で(ユダヤの「百科全書」、第六巻、 69項) 書かれた。」 ( 「スーフィー」 イドリース・シャー著 久松重光訳 国書刊行会 参照)
「スーフィーたち・・・は、・・・成就と力についての秘密の伝承を生み出し、それをアラビア化したユダヤ人に伝承した。ユダヤ人のカバリストは、この教えをその時代のユダヤ的思考に順応させ、アラビア人のカバラは、ユダヤ人のカバラとなり後にはキリスト教徒のカバラとなっていった。・・・ユダヤの「百科全書」では・・・強調されている。「8世紀におけるイスラームの国々でのユダヤの神秘主義は、恐らくその当時のスーフィズムの普及に負っている。」・・・18世紀にポーランドで起こった神秘的な実践的敬虔主義運動であったハシディズムは、単に「カバラの真の継承ばかりではなく、スーフィズムもしくはスーフィズムと同一視されているカバラの一部に依拠しているに違いない」とユダヤの「百科全集」は語っている」 (同著)
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Muhammad bin Ali al=tilmizi ムハンマド・ビン・アリー・ティルミズィー
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2008-04-03T00:24:32+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2008-04-03T00:17:05+09:00
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・Muhamad al=tilmizi
「己を形容する属性が、たとえ一つでも残っているうちは、その者は、一ディルハムの借財で自由の身とはなれぬ奴隷のような者である。 。。。自由な身とされるということは、その者に何も残っていないということだ。」
(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行会 より)
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jyunaid al=baghdadi ジュナイド・アル=バグダーディー
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2008-03-30T00:34:21+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2008-03-30T00:30:59+09:00
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・jyunaid al=bagdad
(粗末な布を頭からすっぽり身にまとった若者がいた。 。。。)
「。。。あなたは欲望の魂のことをどう考えるのか。その魂の痛みが、すなわち、その癒しであることなどあるのか。」
私は言った。
「あるとも。自己の欲望に反抗しさえすれば」
。。。彼は、自分の襟元をじっと見つめてこう語った。
「おお、何度となく、これと同じ答えを私から聞いたであろうに。今はジュナイドから聞くのだ」
彼は立ち上がって去った。彼がどこから来て、どこに行ったか私は知らぬ」
。。。
「どの方の御子孫か」
「信徒の長、アリーの子孫にございます」
「あなたの先祖は二つの剣をふるわれた。一つは異教徒に対してであり、今一つは己自身に対してだ。 。。。あなたはこのうちのいずれを用いるおつもりか」
。。。
「導師よ、私の行くべき巡礼はここでございました。私を神に導きたまえ」
「汝のこの胸のうちこそが神の内密の聖域なのだ。できうる限り、神宿るこの聖域に親密でないよそ者を通さぬことだ」
(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行会 より)
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Yusuf Bin Husein ユースフ・ビン・ホセイン
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2008-03-17T20:23:20+09:00
2015-04-05T15:08:57+09:00
2008-03-17T20:23:23+09:00
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・Yusuf bin Husein
ユースフは。。。ズン・ヌーンのモスクに戻った。ズン・ヌーンはこう語った。
「。。。三つの忠告を与えよう。大きな戒めとは、あなたが読んだものをことごとく忘れ去り、書いたものをすべて洗い流すということ。そうすれば、あなたの目の前のヴェールは取り払われるだろう」
。。。
「中間のものとは、。。。我が導師がこう言ったとか、我が導師がこう命じたとか言ってはならぬ。それはすべて、自我礼讃でしかない」
。。。
「小さな戒めとは、人々を論し、神へと誘うことである。 。。。だが、人々の中にいない自分を想定して、教え諭すのが条件だ」
死の後に、ある者の夢に現れた彼はこう尋ねられた。
「神はあなたにどうなさったか」
神は答えた。
「神はお許しになられた。。。真剣ということと、ふざけ半分というものを、一度たりとも、私が混同しなかったがために」
(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行会 より)
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