女性、
こちらも参照
中東に滞在し始め、特に2点、思うことがあった。多神教の概念、そして、女性の人権問題。1点目は他のカテゴリで述べているので、2点目を、「
二十一世紀への選択」のマジード・テヘラニアン博士の言葉(場合により池田大作氏の言葉も)などを中心に引用して提唱したい。
「当時、
女性と孤児達は、非常に差別された立場におかれていました。
イスラムは、子供の権利を保護するために、家族の関係を実に細かいところまで規制しました。現代の基準で言えば、イスラムの
結婚、離婚、相続などの法律の中には、男女の不平等を維持しているものがありますが、イスラム社会は今、それを変えようと努力しています。」(テヘラニアン博士)
「4人の妻まで娶っていいという、有名な
「コーラン」の規定も、実は戦争などで夫や父を失い、犠牲を強いられた寡婦と孤児を保護するためだったと解釈することができます。」(テヘラニアン博士)
シャリーアの概念
「「シャリーア」という言葉は、もともと「水場へ至る道」を意味し、さらには「救いへと至る道」という意味があるとか。――「人として守るべき道」という広い意味で解するべきものだそうですね。」(池田氏)
「そうです。」(テヘラニアン博士)
このシャリーアが整備され法が人々を縛り始める11世紀ごろから、社会的に活躍する女性の姿は影をひそめ始め、その後の女性の様子を語る資料は、ほとんどない。ちなみに、
イスラーム以前のアラビア半島では、母系的傾向の強い社会であったと考えられている。(
イスラム事典)
そのシャリーアにより女性単独の外出が好まざることとなっているが、
「ムスリムは男女を問わず、各人が知識を求めて「中国にさえ」赴かなくてはならない」(預言者ムハンマドの言葉。テヘラニアン博士)
(中国は当時、アラブ人の地理的な想像の中では、おそらくもっとも遠隔の地であったと思われるとのこと。ちなみに「アラジンと魔法のランプ」の主人公アラジンは中国の都市に住んでおり、そこで魔法のランプを見つけ、その威力で中国の支配者となる。日本はまだ知られていなかったのだ。)
「
神は常に、物質の形の中に現れる。
女性の中にある神の姿こそ、何にもまして完璧なものである。」(
ムイッディン・イブヌ・アラビー)
「我々の体はマリアのようなもの。我々一人一人の体の中に
イエスが宿っている。我々が苦しみを感じる時、我々のイエスが誕生する。苦しみを感じなければイエスはもと来た道をひそかに引き返して、その本源に帰ってしまう。そして我々はせっかくの機会を失って、何の恩恵に浴することもなく取り残されてしまうのだ。」(「
フィーヒ・マー・フィーヒ」
マウラーナ著 -「
ルーミー語録」 談話 其の五 より-)
「あの女性が手首に毛糸を巻きつけて君の前に現れるとき、彼女は閉じ込められた動物のように、自分を見て欲しい、理解して欲しい、それによって自分を自由にして欲しいと君に懇願しているのだ。しかし、君が本当の自分を発見しなかったら、どうして彼女を認めることができようか?」(
ラスト・バリア)
「私たちが男性性と女性性をたずさえて生まれてきた責任――つまり本当の自分自身を発見して、他の人々を大いなる自由へと導く責任を私たちに常に思い出させるために、彼女はここに送られてきたのだ。」(ラスト・バリア)
彼女の手首からかつて離れなかったその毛糸は、未だに全女性の手首に絡み、地球の嘆きとともに真の解放と認知と自由を訴えている。
ちなみに、イスラームに関連する資料ではないが・・・
「自分のかたちに人を、男と女につくった(創世記1・27)。この場合、「人」は単数であるから、人は元来両性具有であった、と解釈されることになる。イヴがアダムから離れたとき(3・22)、死が生じた。彼女が再び入りこみ、彼が彼女を受けいれれば、死はないであろう(「ピリポ福音書」71.--78をも参照)。このような男女の原初的統合をもたらすために、
イエスが来臨したのである(78)。」(「
トマスによる福音書」より)
女性の真の解放と認知と自由は、人類創造の根本の概念に関わっている(P421)。
(「アダムとイヴが禁断の果実を食べた、と
クルアーンに記述されています。イヴは先に食べていないと考えます。しかし、そもそもアダムとイヴは一体ですから、この点に固執するのがナンセンスでしょう。」 あるクルアーン研究家のシェイフの言葉。 ちなみに、クルアーンにもこうある。「しかし悪魔はかれに囁いて言った。「アーダム=アダム よ。わたしはあなたに永生の木と、衰えることのない王権を教えてあげましょう。」 両人がそれを食べると、恥ずかしいところがあらわになった。」 ター・ハー章120)
尚、旧約・新約聖書の真意は「
奇跡講座」にある。禁断の果実の物語の真意はP88参照。
ちなみに・・・
「女性のほうが、生まれつき「
大いなる存在」に近く、男性より悟りをひらく可能性は高いのです」「昔の人は、タオ=大いなる存在 を、男性ではなく女性とみなしていました」 「人間が思考に支配され、神の本質から遠ざかるにつれて、神を「男性神」と考えるようになりました。社会は男性優位となり、女性は男性に従属する立場を強いられるようになったのです」 (「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」 エックハルト・トール著 あさりみちこ訳 飯田史彦監修 徳間書店)
「
ハサン・(アル=)バスリーは自分の説教の場に
ラービア(・アル=アダウィーヤ)がいないと説教をしなかったほどであったのだから、。。。 唯一なる神においては、我と汝の個々の存在が消滅するのであるから、まして、男と女という存在自体がどうしてあり続けようか。」
(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリードゥ・アル=ディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行社 ラービア・アダウィーヤ章より)また。。。
伝えられるところでは、ハサン・バスリーがこう語ったという。
「私は、一昼夜の間、常にラービアのもとにいて、内面浄化の修道と神性把握の真理を語り合った。私の胸中に“私は男だ”という思いが現われることも、彼女の心に“私は女だ”という思いがよぎることもなかった。最後になって立ち上がってみると、私には自分が、一人の無一文のみすぼらしい貧者に見え、彼女が一人の真正の
神の友=ワリーヤ と映った」
(同著)