「أريد أن لا أريد」
「欲しないことを欲する」
「彼(聖者)を見る者は我(神の自称)を見る。彼のもとに赴く者は我がもとに赴く」=神人合一の境地を表現する
・・・お父さんが学校に連れて行った。
バーヤズィード「それはアッラーの法律ですか」
先生「これはアブー・ハニーファの法律じゃ」
バ「僕の勉強したいのはアッラーの法律です」
・・・
先生「これはスィーバワイヒの文法学じゃ」
バ「僕の勉強したいのはアッラーの文法です」
・・・こんな調子で、どこに連れていっても同じようなことを言う。・・・もう勝手にしろと言った。
後日、・・・(偉大な神秘主義の師にめぐり逢い)、「これこそアッラーの法律だ」と叫んだとか。
(「
フィーヒ・マー・フィーヒ」
マウラーナ著 -「
ルーミー語録」より-)
「もし、選良たるアダムの立場、天使ガブリエルの聖性、アブラハムの友 、モーゼの情熱、イエスの清らかさ、ムハンマドの愛があなたに与えられても、あなたは満足することなく、さらにそれを越えて求めることとなろう。これらを越えた彼方に、求めるものはあるのだから。気高き意志の持ち主たれ。下方に頭を下げてはならぬ。降りれば降りるほど、そのことであなたの眼前は覆われ、心眼は曇るのだ」
(「イスラーム神秘主義 聖者列伝」 ファリードゥ・アル=ディーン・ムハンマド・アッタール著 藤井守男訳 国書刊行会 より)
多神教も参照